検索結果 RESULT
[指定文化財][佐賀市][鍋島校区]は3件登録されています。
指定文化財 佐賀市 鍋島校区
-
江里天満宮石造多宝塔(1基)
重要文化財
多宝塔は凝灰岩製で、相輪及び屋根部分が失われて塔身のみとなり、基礎は別石である。 塔身には、浅い蓮華形の仏龕(高さ27㎝、幅20㎝前後)と、蓮の台座に坐した四方仏(蓮台含め像高20㎝前後)が刻まれている。また塔身の肩部、仏龕の上部左右に薬研彫りの種字8文字が刻まれている。 仏像は像容が不鮮明な部分もあるが、次のように推定できる。 ・智拳印を結んだ金剛界大日如来坐像(印相の手が通常の逆。) ・禅定印の釈迦如来坐像 ・阿弥陀定印の阿弥陀如来坐像 ・施無畏印(または与願印)に薬壺を持つ薬師如来坐像 種字は一辺10㎝前後の大きさで、大日如来の仏龕の左上から「ユ・ア・キリーク・ケン・バク・カン・ラン・バン」である。 この他、四方仏の仏龕と仏龕の間には造立銘が刻まれている。 【銘文の内容(概略)】 恵利二郎伴兼信の嫡子、左衛門尉伴兼時(法名正實)は、文暦元年(1234)10月8日に出家し、11月2日に往生した。父兼時の供養のため兼忠が大施主となり、この多宝塔を造立する。 銘文から、伴(恵利)氏三代の系譜及び伴氏が鎌倉幕府から所領を賜っていること、多宝塔の維持のために法浄寺の田地を寄進することなどがわかり、鎌倉時代の古文書としての史料的価値が高い。 また県内では鎌倉時代の多宝塔の作例が少なく、制作年代の明らかなものとしては、県内最古級のものであり、この多宝塔自体は塔身のみであるが、像容や種字、銘文の大半が判別できるなど保存状態が良く、刻まれた仏像や種字は、当時の地方領主の信仰形態を知る上でも貴重な資料である。
-
鍋島家発祥の地 御館の森
史跡
鍋島家発祥の地「御館の森」は、鍋島家の祖、長岡経秀が山城(やましろ)の国長岡から肥前に下向し鍋島の地に居を構えていたところと伝えられている。 経秀の子、経直を伴って肥前に下向して鍋島の地に居館を構え、鍋島氏を名乗るようになった。ただ、その邸地がどこにあったかを知り得る文献的史料はない。地域の人たちが保存してきた御館の森は、近世を通じて佐賀の藩主であった鍋島家の発祥の地として歴史的価値がきわめて高い。
-
石造六地蔵 二基
重要文化財
東善寺の入口近くに参道をはさんで建てられている2基の石造六地蔵である。 宝珠、笠、尊像、中台、竿の5部分からなっているが、天正8年(1580)のものは宝珠を欠失する。総高は天正8年像2.14メートル、天正16年(1588)像2.25メートルである。 ともに笠は平面が六角形で、波形の勾配、尊像は立像で蓮台上に立つが、天正8年銘の蓮台は、間隔をおいた重弧文となっている。中台は、大花と小花とを交互に配した単弁の蓮華文で、浅鉢形の曲線を呈し、笠の曲線と微妙な調和を保っている。 竿の部分にそれぞれ次のように造立銘が陰刻されている。 ・奉彫刻地蔵〇菩薩六体 良因妙顔禅定尼 天正八庚辰十月吉日〇〇〇〇〇妻 ・伊藤孫三良 改名花盛淨映禅定門 天正十六年戊子六月十八日 天正8年と天正16年に造立されているこの2基の石造六地蔵は、六地蔵造立が隆盛であった天正年間の所産で、構造的に見て最も整っており、また他に余り例を見ない豪壮な作であるとともに彫像もすぐれていて、六地蔵の代表的遺品としてその価値が高い。