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[指定文化財][佐賀県][諸富町]は5件登録されています。
指定文化財 佐賀県 諸富町
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三重の獅子舞
重要無形民俗文化財
約600年前に、越後の国から肥前の蓮池の地に伝わり、江戸時代に鍋島氏が川副郷三重の川副代官に伝授させたと伝えられているが明らかでない。毎年10月19日に近い日曜日に氏子の村々によって新北神社に奉納されている。 出演者は囃子方としてドラ2名、鼓2名、笛10名と演技者として、めずり2名、獅子使い20数名であり、その他に奉行2名、世語役10名前後、高張提灯(たかはりちょうちん)、手提灯がつき、いずれも青壮年が中心となる。 獅子頭はあごの部分が木製で、他は和紙の重ね張りの上に漆をかけてあり、額には紙垂(しで)を垂らし、頭部内側には銅製の環を付けて音を発する。頭部から尾部にかけては着物とよばれる幌をつけ、頭の色に合せ、赤褐色、青緑色となっており、綿玉を散らす。 曲目はひら・二段継ぎ・三段継ぎ・獅子かぶり・のみとり・めずりである。ひらは頭・尾に各1名がつき、獅子頭をふりながら前後に動くが、二段継ぎ・三段継ぎでは頭部に肩車になった2名もしくは3名が、手をさしあげて獅子頭を動かす曲芸的な所作となる。 獅子かぶり、めずりはひらと同様、頭と尾に各1名が入る。難子に合わせて勇壮かつ曲芸的な所作を伴う獅子舞であり、県内に伝承される獅子舞では特異な民俗芸能である。
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大堂神社奉納北前型弁才船模型 一隻
重要有形民俗文化財
北前型弁財船の模型は、大堂神社に奉納されていたもので、10分の1の模型で、船底の墨書から、明治19年(1886)に制作されたものである。 17世紀以降、瀬戸内地方で活躍していた中・小型の地方的廻船の弁財船は、商品流通の増大に対応するため帆走性能等の向上をめざし改良が加えられていった。そのうち、日本海地域で発達、寛政されたものを北前型弁財船と呼ぶ。この模型は、北前型弁財船に特徴的な船首と尾が大きく反り、船首寄りに大きく開く前膨らみの線型を備えている。 明治期の特徴的な構造が随所に見られる。 大堂神社は筑後川を河口から9キロメートルほどさかのぼった諸富港に近い場所にあり、この模型は有明海からの海運を物語る極めて貴重な資料である。同種の奉納船の例は全国的にも少なく、その精巧なつくりから、当時の北前型弁財船の船型・構造、造船技術を探求する上でも貴重である。
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石塚一号墳出土遺物 一括 (附)銅製容器一点
重要文化財
石塚古墳群は筑後川河口西岸に位置する佐賀市諸富町の南部、標高3~4mの低平な水田部に立地する。佐賀平野南部では、これまでのところ確認できた唯一の古墳である。古墳は現在までに2基を確認している。このうち1号墳は昭和63年に調査が実施され、横穴式石室から挂甲や金銅製装飾金具等の遺物が多数出土した。1・2号墳とも墳丘の大部分が削られ、石室も一部が残存するのみである。 挂甲は胴甲1領分がほぼ完存し、他に付属品が一部分残存する。銅製飾金具は3点以上が出土している。表面にはタガネにより文様を打ち出している。全体が復元できるもののうち1点は中房が盛り上がり周囲に17弁の蓮華文を配したもので径6.6cm。他の1点は7弁を配して中央に火炎文を表したもので径7.0cm。馬具のうち杏葉は鉄地金銅張のもので7点出土している。 これらの遺物は、同時に出土した須恵器の形式等から6世紀後半~末のものと推定できる。
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銅造明神鳥居 寛永十七年の銘あり 一基 (大堂神社)
重要文化財
大堂(おおどう)神社は、弘安2年(1279)創始と伝えられている。 この銅造鳥居は、大堂神社の三の鳥居(寄進時は一の鳥居)とされ、寛永17年(1640)の造立銘をもつ県内唯一の鋳銅製の明神鳥居である。 高さ4.78メートル、笠木の長さ6.87メートルである。笠木(かさぎ)はゆるやかに反りながら両端で厚みを増す。木鼻(きばな)は斜めに切れる。柱はほぞのある鋳造円筒を4個積み上げている。2段目までは砂をつめているが、その上部は空洞である。基部は円形の台石に乗る。 笠木・島木(しまぎ)・および貫(ぬき)はいずれも、厚さ約1.5センチメートルの長方形の銅板を鋲止めにした箱状のものを3本継にし、継目に幅広の薄い銅板を巻いて造り上げている。また、笠木の上面を、薄くて細長い銅板を横継ぎにして覆っている。笠木と島木の芯には松材が使用されているが、貫は不明である。 正面には、銅板押し出しの杏葉紋の額束をかかげ、笠木の両端には十六弁の菊花紋、島木には杏葉紋がそれぞれ配されている。 この鳥居は、島原の乱に出陣した小城藩初代藩主鍋島元茂が、戦勝祈願成就に寄進したもので、左柱には、次のような銘が陰刻されている。 寛永十七年庚辰年二月十五日 大願主 従五位下鍋島紀伊守 藤原元茂(以下略)。
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新北神社ビャクシン
天然記念物
新北神社拝殿の右横にあるビャクシンは、幹回り4.1メートル、枝張り6メートル、樹高20メートルの巨木である。幹は斜上しており、倒伏しないように支柱がそえられている。主幹部はビャクシン特有である樹皮が剥げ、材がむき出しになっている部分があり、ねじれや瘤状の隆起もみられる。樹齢は1600年とも2200年ともいわれているがあきらかでないが、古木特有の風格がある。 近くに秦の始皇帝の命で不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福が上陸したという地があり、このビャクシンも徐福との関係を思わせる向きもある。