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[旧佐賀市][ 漁業]は6件登録されています。
旧佐賀市 漁業
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有明海の漁業
干潟に棲息する魚介類を捕獲する干潟漁業は、手取り漁業とも呼ぶべきもので、極めて特色のあるものである。しかし、干拓事業の進歩に伴い、干潟漁場は著しく狭くなってしまった。そのため養殖以外の干潟漁業は極度に衰微した。こうした内海漁業の不振を打開するため、ノリの養殖が行われ有明海漁業の中心となった。
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干潟漁撈と漁具
干潟は、その位置によって泥土の状態が異なっており、沿岸から離れると離れるほど一般に泥土が軟弱となり、また、南西部の太良町の沿岸のように、泥土の少ない砂石の多い所もある。干潟の中にはエゴと呼ばれている大小無数の谷があって、そこには潮汐をたたえており、干潟の中もやはり複雑な地形を呈している。 この干潟漁撈には、主として簡単な道具を用いているが、一種の手取り漁撈であって、自家消費用にあてるために出漁しているものが多い。干潟に入る時は、堤防の所で着物を着替え、必要な道具だけを持っていく、煙草やマッチなどは、濡れたり汚れたりしないように帽子の中に入れておくのが安全である。潮が満ちてくるにつれて岸に戻り、エゴの水で身体を洗って堤防の上にあがる。干潟漁撈をすると、全身泥だらけになるので、干潟漁撈をする人を方言でドツキユウサンと呼んでいるところもある。 また、干潟上の目的地に行くために、歩いていく他に、押板で干潟の上を滑っても行けるし、また、舟でエゴを下って行くことができる。一般に歩行するものは堤防近くの干潟に多く、舟を利用するものは潮際近くの干潟まで出かける者が多い。 近年、有明海はノリ養殖によりその漁法はほとんど見られなくなった。
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ジュブ (四つ手網)
佐賀では四つ手網のことをジュブといい、これで漁することをジュブ引きといった。大きな堀にアバ(網場)を作り、この漁をする人がいた。浮留江橋の上流にアバを設け、夏の雨後の増水した時や秋の水落ち時にはよくジュブを引いた。その頃は堀も深く水量も多く水もきれいでフナなどのほかに、有明海から上ってくるハクラやクロメ等もとれた。網が上げられる時は、どんなものがはいっているだろうかと胸をときめかしたものである。漁の多い時は、そのまま狭いアバに泊まりこんだこともあった。
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テンチク針
針先が鋭い大きなもので、ドジョウ等の生餌を先にさし、夕方魚のいそうな所に投げ込み端を岸辺の草の根元などにしばりつけておき、翌朝あげに行った。糸がピンと張っていれば間違いなくかかっており、ウナギやナマズ等の時は、糸が菰や葦などにぐるぐるまつわりついてあげるのに苦労した。
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ドウケ
果物籠を押しつけたような形をしており、入口に竹のハゼを、上に取っ手をつけてあった。夕方この底に米糠や醤油粕等を泥と練りこみ、魚の回遊しそうな場所を見付けて水中に沈め翌朝あげた。魚がはいっておれば入れておいた餌がなくなっているので軽く、この時はあげる手に力が入った。時にはキャーツグロー(カイツブリ)がはいっていることもあった。
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ドジョウうけ
今は、ドジョウも少なくなり、養殖を計画されている時代である。 夏稲が大きくなると、水を張った田にこれを置く。ドジョウは畦ぎわを回る習性があるので、水口が場所としてよく、タニシを潰して入れておくこともあった。夕方仕掛けておいて翌朝あげる。うけの水面に泡が沢山立っていたら間違いなく豊漁だ。中をのぞくと大きなドジョウがもつれ合いながら中に潜りこむ所謂「ドジョウの三っつんごろ」の様相を呈していた。