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[旧佐賀市][ 絵画・書跡]は4件登録されています。
旧佐賀市 絵画・書跡
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八幡社御宝物(絵巻)
2軸あり、2軸共創建者鍋島直之公が奉納したもので、その内容は祭神が未だ御母后胎内におわしたまま、三韓退治をされた奇蹟を記述し、また崩御後の霊徳示験を詳説したもので、その間に極めて巧妙な錦絵十数枚を挿入した絢爛たるものである。また、その外装は2軸共に開端の前表は錦の布、裏は無地の金箔を装い、その軸端は六角型水晶石を使用してありその表装は極めて珍重な物である。
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武富時敏の落款
武富時敏の落款です。彼は、国会議員の中でも稀代の書道家である。 なお、落款とは、「落成款識《らくせい-かんし》」の略で、書画が完成した時、筆者が署名・捺印することを言うそうです。作品に落款印を押すのは、自己の真実を尽くした責任の証明と作品を引き立たせる役割もある。
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大般若経と納経箱
福満寺には、現在大般若経600巻が保管され、欠筆、欠巻の部分は、補巻されている。 福満密寺の年譜によると、貞和6年(1350)庚寅、冬十月将軍尊氏公有先年心願在、奉納大般若経一部其文曰 尊氏前有姿心願 所願既得満足故 以大般若経一部奉納薬師之金堂者也仍如件とある。 従って、現存する大般若のどの部分が、この年譜記の薬師金堂に当るか、後に再納したものか明らかでない。ただ第1巻は、当初のままと推定されるようでもある。最後の600巻になると「欠筆のため補」としたためてあり、元和2年(1616)丙辰春、河上山菩提見住、増元の奥附書がある。 大般若経当初は、尊氏の発願の意を体し、写経料を下附されて写経したものであろう。 現在、大般若経600巻は、古めかしい箱に納められているが、その箱の蓋裏には、かろうじて判読できる、経箱を整備した当時の記録があることは、この600巻の由緒を裏書するものである。 肥前国佐賀郡河副庄江上村長尾山福満寺 当住持 法師朝意此経求所也 奉寄進大般若経箱 意趣者為六願体 武運長久父子孫繁昌 息災延命 諸願円満処 慶長十五年庚戊卯月吉祥日 犬塚惣衛尉氏女 とある。頭書に、当山の住持法師朝意が、この経を求るところ……とあるのは、当初一部が納経されていたものを補ったことを意味するものであろう。補巻が、元和2年(1616)であるので、この経箱が寄進された後に欠巻しているのを、慶長15年(1610)に発見して、写経したものである。
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連歌帖
佐賀藩主2代藩主鍋島光茂は、幼少から和歌を好み、老年になって西三条家から古今伝授を受けたほどだったが、在国の際はしばしば連歌を催し、その歌帖をすべて蛎久天満宮に奉納した。歴代藩主もこれにならったので、天満宮には今もなお多くの連歌帖が保存されている。