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[人物][人物][西与賀校区]は2件登録されています。
人物 人物 西与賀校区
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平山 栄十
平山栄十は、坂井嘉右衛門の二男として西与賀厘外西に生まれる。庄家の平山家の養子となり平山家を継ぐ。和雄と号す。和歌をよくし万延元年(1860)6月庄屋の職に推挙される。村政の経営にはげむ事、数十年村のために善政をしいたのである。また文久2年(1862)5月麻疹(はしか)が村中に流行するや、自分の田を売却して村民を苦難より救う事もしばしばであった。また副島種臣が、長崎遊学に燃えていた時、家が赤貧であったので義父利忠は、思い悩みの末、庄屋であった平山栄十翁に学資を相談されたところ快く承諾されたということである。平山家の菩提寺は、長勝寺である。毎年1月15日には翁の記念碑祭が開催されている。
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川副 夘三郎
川副夘三郎は、江戸時代末の嘉永3年(1850)与賀上郷上厘外村の高柳(現在の西与賀町高柳)に生まれた。 幼少の頃は神童といわれ、その後、家人に従い農作業を手伝ったが、朝早くから夕方には星をいただき、その働きぶりは周囲の目をみはらせ、伝えによると、閑叟公(佐賀藩10代藩主)より賞辞を賜ったといわれている。 やがて家業を継ぎ田畑の耕作に従事したが、その精励ぶりはその度を加えた。後に選ばれて村会議員となり地区の世話は勿論、西与賀町の発展に尽くした。 高柳の住民によって、氏の没後その徳を称えて記念碑を建て、毎年お祭を行っている。