検索結果 RESULT
[自然][その他][富士町]は6件登録されています。
自然 その他 富士町
-
夫婦石
栗並の宮の馬場、子安神社の川下にあるふたつの巨大な石を夫婦石と呼んでいる。ひとつは楕円形、もうひとつは上の方がもぎとられたように平たくて角ばっている。いつのころから夫婦石というようになったのかは、明らかでないが、肩をすりあわせて寄り沿うような恰好で並んでいることから、誰いうともなくそう呼びだしたのであろう。 大岩の近くには、カエルの置物も配され、平成2年より夫婦石祭りが行われていた。 別に袂石ともなまず石ともいうが、それにまつわる言い伝えがある。 むかし。権現さまがふたつの大きな石を両方のたもとに入れて、大なまずに乗って川をのぼってこられた。さしもの、大なまずでも石の重さに耐えかねてここまでくると動けなくなってしまった。権現さまは可哀相におもわれて、たもとの大石をここに降ろされた。石の下は魚だまりになっていて、たくさんの魚がいるが、地元では神さまの崇りがあるといって魚を捕ることは忌まれた。
-
車石
鎌原に鎮座する鎌王神社の祭神は女神で、男女連れ立って参りに行くと焼き餅を焼くという。苣木の向かいにある山の中腹に高さ4mほどの巨大な石がある。車石といい、鎌王神社の祭神がこの石に乗って降りてきたと伝えられている。現在、一部が欠けているが、もとは車輪のように円形をしていたという。車石は、出ている部分で約3mの円形の御影石で、今は大きく欠けている。 毎年11月30日は未婚の青年が出雲大社に行かれた神が帰って来られるのを待って拝殿で一晩中起きて酒を飲んだり夜食をする。そこで神定められた女性との結婚が可能となるといわれている。
-
天山鳥獣保護区
(平成5年10月29日、佐賀県告示第621号) 佐賀市富士町と唐津市厳木町、小城市小城町との境界地区には保護地区が設定されている。また、富士町と隣接する唐津市七山村には、樫原鳥獣保護区(平成5年10月31日 佐賀県告示第594号)があり、貴重な動植物が保護されている。 脊振北山県立自然公園(昭和50年12月12日指定、佐賀県告示第713号) 脊振北山県立自然公園の範囲は東は基山町から西は七山村にかけて、富士町も含めて、7,967haの地域である。脊振山地の尾根にあたる東の基山から西の浮岳まで、約40kmに及ぶ山岳地帯と北山湖とその周辺の二地域で構成されている。 九州自然歩道は、東海自然歩道に次ぐわが国2番目の長距離歩道で、環境庁の提唱で九州各県が共同で整備をすすめている事業である。その目的は、多くの人が歩道を歩くことによりすぐれた自然環境に接し、沿線の自然・歴史・文化などに触れ、自分たちの郷土を再認識し、あわせて健全な心身の育成、自然保護思想の高揚をかかげている。九州を一周する約2,100kmのうち、佐賀県分は117.5kmで、基山から長崎県の栗の林峠の範囲で、このうち富士町関係は東から西に縦断する。 佐賀市三瀬村の北山湖畔、虹の橋から北山キャンプ場、寄合平、上小副川、大野原、須田権現山に登り、古湯温泉、宮の測、天河川、七曲峠、天山山頂を経て多久市へのコース25kmである。自然歩道の道案内は、九州統一の「かたつむり」の目印。富士町内は青年団の協力などにより、草刈などの管理がなされている。
-
埋没縄文巨木群
1997年3月、雷山(標高955.4m)南斜面の林道工事現場から、長さ20m、幹周り4.5m、の巨木が出土した。国立奈良文化財研究所の三谷拓実博士によって樹種は「カヤ」と断定された。名古屋大学年代測定資料研究センター奥野充(学術博士)によって炭素14の測定の結果、5,290±110年前(縄文時代前期)に埋没した樹木とされた。11月熊須健一氏(宮崎県綾町の盤士)と当時の富士町役場林業課で、碁盤、将棋盤、衝立等の製品化契約がされた。(製品化に2~3年、日本棋院の話では、日本一古い材のカヤ盤とのこと。富士支所、県林業試験場ほか所有。)その後、1999年3月、同年7月の2次にわたり付近一帯を名古屋大学、福岡大学、長崎大学、熊本大学、佐賀大学等のプロジェクトチームより発掘調査、資料採取の結果、およそ5300年前に斜面が2回に亘り崩壊し、樹木等が埋没したことが判明。カヤノキ(イチイ科)など10種類の植物遺体、花粉、昆虫化石、当時の気候の分析が実施され、多角的に古環境が復元されることになった。なお、1999年3月の発掘調査後には一般公開を実施、約500人の見物者があったが、現在は埋め戻されている。
-
富士町の阿蘇4火砕流堆積物
標高600mで発見された火山噴出物は、杉山地区の岡本清次氏によって圃場整備中に発見された。1999年8月長崎大学教育学部長岡信治教授(理学博士)の調査で約8〜9万年前に阿蘇カルデラから噴出した、阿蘇4火砕流堆積物であることが判明した。 長岡教授の調査報告書によると発見された火山噴出物は、軽石と火山灰の混合したもので不淘汰であること、ポケット状の凹地を埋めて堆積していること、高温を示す炭化木片を含むことから火砕流堆積物である。軽石が非常によく発泡し、マトリクスの火山灰がガラス質で赤橙色を示すこと、重鉱物として角閃石を特徴的に含むことから阿蘇4火砕流堆積物であると判断される。阿蘇4火砕流は、北は山口県秋吉台、南は宮崎県大淀川、東は大分市、西は長崎県大村湾、佐賀県伊万里市など半径150kmの範囲に分布が及んでいる。 富士町大字杉山の阿蘇4火砕流は、佐賀平野から脊振山をこえたことを示し、阿蘇カルデラから100kmも離れた標高600m以上の山地を乗り越えるエネルギーがあったことを示している。これまで佐賀市三瀬村周辺の400m以下で発見されている。しかし、脊振山地の500m以上でまとまって発見できたのは初めての例であろう。また、阿蘇4火砕流が九州山地を越えた例は知られているが、脊振山地を越えた証拠の報告はこれが最初である。
-
かっちゃ石
太古の昔、地殻変動の折の現象であると想像されるが、大きな石3個が三段重ねとなり珍しい景観を造っており、その中には石像が安置されている。 「昔、鬼が土地の庄屋さんの頼みを聞いて、一夜のうちにこの石を運んだ。両袖に1個づつ、頭の上に1個を乗せて持って来たそうな。」という話が残っている。