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[産業][その他][勧興校区]は5件登録されています。
産業 その他 勧興校区
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アームストロング砲
アームストロング砲は幕末に佐賀藩が保有していた最新の後装施条砲。1855年イギリスで開発され、佐賀藩は長崎のグラバー等を仲介として輸入した。佐賀藩でも製造したといわれているが、実否は明らかでない。戊辰戦争では上野や奥羽の戦いで用いられ、「佐賀の大砲」として威力を示した。
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カノン砲
佐嘉神社正面入口左にある、我が国最初の鋳造鉄製150ポンドカノン砲である。 この大砲は、当時品川砲台に備えられたもののひとつを復元した物。 10代藩主・鍋島直正公は、長崎警備増強の必要性を痛感し、台場の増強と洋式鉄製大砲の製造を行った。 嘉永3年(1850年)、築地に独自の洋式反射炉を築造し、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功し、長崎台場の防衛用大砲を建造した。
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馬鉄復活
馬鉄が復活した、昭和40年に仮装カーニバルが行われた。 佐賀商工会議所から多くの人が見物している。
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西肥日報
明治19年、当時の佐賀新聞に対抗するべく武富時敏が「肥筑日報」を創刊した。 その後、「西肥日報」へと変遷し武富時敏自身が主筆として鋭い筆を奮った。 武富時敏氏談として国の剰余金について国防費や減税について詳しい論説を述べている。 ちなみにこの現存する「西肥日報」は、勧興公民館館長宅から偶然に見つかったものである。「西肥日報」の本社は、佐賀市中ノ小路の県庁通りに面する交差点にあり、しょう洒な洋館の建物であった。 昭和40年頃まで現存したがその後解体され、現在はデパートの物産館が建っている。
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萬金丹
元禄時代に武富家四代目祐白が「萬金丹」という丸薬販売の薬店を城下の白山町にて開業した。 その後、天明3年(1783)に藩外からの売薬の移入が禁止されたので佐賀藩領全域に販路を広げた。 さらに享和2年(1802)、店を継いだ武富坦堂は、大村藩の財政再建を援助し、大村藩内でも販売許可を得ることができた。