味志瓦の元祖
瓦焼が繁栄を極めたのはこの地では明治以来のことで、その以前には味志家の独占場であったといわれ、このことは、味志家の系図等によって知ることができる。
これによれば、味志家は小川総右衛門と共に藩祖鍋島直茂に仕えて瓦焼を業として、一手にやっていたが、その後、小川家は安住(北川副)に御免地を賜わり、味志家は今の長瀬町の与賀神社下宮の北東一帯の御免屋敷を賜わり、味志・小川両家は名実共に瓦焼を独占した。豊臣秀吉名護屋城築城に際して瓦の納入を仰せつかり、子孫の専業を公許された。今日味志家は昭和35年頃瓦業のすべてを閉じてしまった。