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[民俗・芸能][行事][若楠校区]は2件登録されています。
民俗・芸能 行事 若楠校区
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ほんげんぎょう (鬼火たき・伝統行事)
○各地区の実施状況 (下高木地区のほんげんぎょう) 昔から地域の正月の伝統行事として、毎年1月7日の早朝に行われてきた。 場所は、戦前から昭和30年頃までは蓮堀の岸で、その後地区の中央付近の農地(水田)を借りて行われてきた。 前日から子ども達が主体となって、田んぼの中央部に生竹と稲わらを使って、小さな小屋を作り、そこに前日から泊り込む。その夜、子ども達は夜通しで語り、遊んで楽しい一時を過した。 翌朝(1月7日)は、この小屋を燃やし、その残り火で持参した餅を焼いて食べて1年の息災を祈った。 (若宮(旧新村)地区のほんげんぎょう) 昔から地域の正月の伝統行事として、毎年1月7日の早朝に行われてきた。 場所は、子ども達の各自の自宅の表広場等で行われていた。 子ども達が主体となり、子ども達が居住する各自の家の入り口等の安全な場所で、子ども達が前日から準備した生竹、正月飾りの門松やしめ縄等を一緒に燃やして、生竹が燃えて破裂する音を合図に「鬼は外、福は内」と大きな声で叫び、1年の息災を祈った。 そして、生竹等が燃え終わったころ、各人の自宅の餅を持って近くの家を巡り、残り火にあぶって廻った。7軒以上廻ると縁起が良いとか言って廻ったものである。 (八丁畷地区のほんげんぎょう) 昔から地域の正月の伝統行事として、毎年1月7日の早朝に行われてきた。 場所は、若宮(旧新村地区)と同様、子ども達の各自の自宅の表広場等で行われてきた。 内容も大体若宮(旧新村地区)と同様で行われてきたが、以前からの居住者が7戸と少なく、子どもの数も段々と少なくなり、昭和40年代初頭頃から中断している。 ○現在の若楠校区で統合した校区内全員参加の「ほんげんぎょう」 「ほんげんぎょう」は昔から伝わる正月の伝統行事であり、各地区(下高木・八丁畷・新村・城井樋)で行われてきたが、下高木地区を除き少子高齢化等の影響で行事の実施が困難になったため、昭和40年代初頭ころを最後に中断していた。 そこで、平成16年から、それまで綿々と行われてきた下高木地区の「ほんげんぎょう」を手本に、若楠校区で統合し、「青少協」、「子どもクラブ」等の地域団体を挙げた取組みとして実施するようになった。 前日から生竹、葦、わら等で小屋を作り、翌朝点火して燃え上がる炎に、各自家から持ってきた正月飾りの門松、しめ縄、古いお札等も一緒に燃やし、1年の無病息災を祈るものである。 今後子どもたちが受け継いでいく伝統行事として取組まれている。 時期は、毎年1月として、必ずしも1月7日とは限らない。 場所は、若楠小学校のグラウンドで行う。 実施方法は、現在まで続いてきた下高木地区の内容で実施する。
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もぐら打ち
(1)下高木地区に伝承されている「もぐら打ち」 ○昔から、地域の正月の伝統行事として受け継がれ行われてきた「もぐら打ち」は、昭和40年 代初頭頃から少子高齢化等の影響で一時中断していたが、昭和54年、若楠小学校が開校された 翌年から再開され、子ども会役員、父兄同伴で実施されているその伝統行事も「下高木子ども 会」の正月行事として定着し、継続されている。 ○時期:毎年、1月14日(現在は、14日前後の土曜か日曜日) ○内容:子どもを主体として、10名前後の班を編成し、地区内の各戸を廻って、玄関前等の広場 で竹棒の先端に藁を巻きつけた棒を持ち、音楽に合わせて歌を唄い、気合を入れながら地面を 叩き、邪気払いをして、地域の人から喜ばれている。 そのお礼として、各戸からお餅やお菓子・お祝儀等を頂くのも楽しみだ。 頂いたお餅やお祝儀等は「もぐらうち」終了後の食事会等に使われている。 ○もぐら打ちの歌(歌詞) 十四日の もぐら打ち なれなれ 柿の木 千なれ 万なれ 億万ばっかい なれ つう落ち すんな あだばな 咲くな 今年は去年よいか 太して 長して ぶら ぶらっと なれ うちん子の ちぎっときゃ 畑の 真ん中に なれ よそん子の ちぎっときゃ 堀の 真ん中に なれ なれ なれ 柿の木 十四日の もぐら打ち ●その他 ①「もぐら打ち」の棒造り等は、下高木地区の高齢者の方々にご指導を頂いている。 ② 現在の「下高木子ども会」への加入者は、約80人である。 (2)今は途絶えた「八丁畷地区」等の「もぐら打ち」 ●昭和40年代初頭頃まで、正月の1月14日、八丁畷地区でも行われていたが、旧来の在住者が7 戸と少ない上に少子高齢化等の影響で、その後途絶えている。 ●調子付けの歌詞・・・大体、下高木地区と同じであった。