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[民俗・芸能][行事][蓮池校区]は3件登録されています。
民俗・芸能 行事 蓮池校区
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蓮池祇園
祇園は毎年7月22、23の両日に行われる。 八坂神社(祇園社)の祭神は素盞鳴尊である。祇園祭は大字蓮池が氏子で、その中、神埼町・城原町・魚町・本町の4町が、年々順番に分担する。以前は紺屋町も参加していた。分担の種別は「お供」「神輿」「獅子」「山鉾」である。神輿は22日の午後7時煙火の合図で社殿を出て78町を隔てた下の宮(城原町と魚町)に御幸し翌23日の午後8時再び煙火の合図で下の宮を出て還幸するのである。「お供」は40人近くの男が何れも菅笠麻裃を着け、高張提灯や、花籠付の紅白旗や赤天狗、青天狗、神劍、矛等を捧げて神輿の前後に従う。「神輿」は裃を着てかつぎ、「楽方」 は楽を奏しながら従う。 獅子舞は神輿の先駆ともいうべきもので行列中の花形である。この番に當った町では若者を獅子、笛、太鼓等に分け毎年7月の朔日頃から稽古を始める。赤獅子・青獅子が節面白く囃立てながら神輿の道筋を練り行くのである。その使い方や囃方は昔から蓮池独特で、その舞方は各町違っている。神埼町は「ひざり」で囃方も「チールリ、タールリ」、城原町は「ゆすり」で囃方も「ヒョーロヤドンドン」で外2町とも同じであり、本町は「内より」魚町は「外から」である。 山鉾は昭和46年以来中止されているが、素盞鳴尊に因みある叢雲の劍を牽くというもので、出雲の三瓶山における大蛇退治を形取って造られ、屋根の正面に三つ叉の鉾を付けたものであるが近来は全く余興としての踊舞台にされている。この番に當った町内の娘達は2か月以前から踊の稽古を始める。当日は「チヨーッサンヨ」の掛声も勇ましく山鉾を曳出す。 お祭の前夜は衣裳揃と称して獅子舞と山鉾との総仕上である。 祇園が近づくと蓮池の町は、小ぎれいな感じになってこのにぎわいを迎える。 (注)「祇」の左部分は「ネ」で表記される。
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ももて
出雲神社の「ももて」は、文永年間、出雲国造の弟北島康孝がこの社を建立した当時から伝わるという。 毎年2月11日あるいはその前後の日曜日、「百手」と呼ばれる行事を、蒲田津東分が6組(榎下組・番所組・渡端組・昭和組・馬場組・新町組)に分れて、毎年一組が実施する。 海の幸・山の幸、神酒の献饌をし、儀式がある。 この日直径1間位の大的の中心に「鬼」という字を書いたもの2個を組合せて拝殿の南方に立て、北方の神殿から弓に矢をつがえて、最初に神官、次に当番組の世帯主が交代に、鬼の字を目標に弓矢で射て、五穀豊穣・家内安全を祈念する。 後で、この的を子ども達が取り合い、相手かまわずかぶせようとするのを、「ハタハタカブセ」という。鬼の字の墨汁で、かぶせられると顔がよごれることがある。
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ゴミホリ
3月も末、堀のゴミ上げはサラエと泥土利用のための村仕事である。ガタをすくい上げるには「遠隔操作」の桶が使われる。桶は口が斜め型で、口と底から両側へ綱がクモ型に付けられる。5、6間ほどの間隔で渡した道木に構えた両側の人数の綱に操られて、桶が舞ってはガップと泥土をくわえ、せり上がっては吐く。「ダンポチコイコイ」の調子。呼吸が合わぬと、桶は宙返りして泥ハネが飛び散る。