「梅左ェ門橋(うめよんばし)」の由来
中飯盛の中央を東西に流れるクリーク(小堀)に、この小邑を南北に二分するような格好で「梅左ェ門橋」がかかっている。昔はひっそりしたもの淋しい場所であった。この橋はその昔「太田梅左ェ門」という大地主がいて自分の名前をいつまでも記念に残すために作った橋である。その「梅左ェ門」が今日ではなまって「梅よん橋」と呼ばれているのである。今頃の若い人たちはこの橋名も余り知らないが、50歳以上の老人はこの名称で呼んでいる。橋の北部から東へかけて、当時の橋の主梅左ェ門所有の水田が広がっていた。しかし、いつの間にか5、6人で耕作されるようになり、また戦後の農地改革で現在はM氏の所有となっており、人間一生の浮沈消長の姿がまざまざと物語っている。