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[建造物][碑][若楠校区]は2件登録されています。
建造物 碑 若楠校区
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陸軍「第55聯隊記念塔」
昭和29年に結成された「55会」(55聯隊出身の有志の会)の手によって、昭和33年4月建立された記念碑であり、現在も建立当時の姿のままで建立後50年余を経過し、周りの樹木が大きく成長し、生い茂っている。 また、記念塔は長い年月風雨にさらされ、苔生して、石碑正面の「55聯隊の略歴」等の文字は、判読し難い状態となっている。 高木瀬町史(113~116頁)には、建立の経過等が記載されている。 記念塔の台座石正面には「55聯隊の略歴」が刻まれている。 「55聯隊」等陸軍施設の推移を高木瀬町史(96~108頁)から一部抜粋すれば、 明治41年~大正14年5月・・・「陸軍歩兵第55聯隊」配置される。 大正14年5月3日・・・・・・・「陸軍歩兵第48聯隊 第三大隊駐屯」 その後・・・・・・・・・・・・・「陸軍歩兵第48聯隊 第三大隊駐屯」が久留米へ移駐 昭和10年頃・・・・・・・・・・「高射砲第四聯隊」が設置される。(同年10月号の「佐賀 県人会報」に、当時の県知事が喜びの談話を掲載) 高射砲第四聯隊のその後の経過・・不明 昭和18年4月~終戦当時まで・・・・・・「電信第二聯隊」が移駐 ※記念塔は2019年に総合体育館西側駐車場へ移設している。
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戦没者の慰霊碑
戦没者の慰霊は、若楠校区が誕生してからも、従来のように高木瀬町で慰霊祭が行われている。高木瀬小学校には忠魂碑がある。 (高木瀬小学校にある忠魂碑の歴史) 大正11年3月建立された忠魂碑は、戦後間もなく、進駐軍に発見されないよう高木瀬小学校の西側に、秘かに埋められていた。 戦後、独立とともに昭和27年再建された。 (高木瀬町史) 昭和28年4月、村内有志者によって再建された忠魂碑では、毎年公民館主催で慰霊祭が行われていたのが、昭和52年から各種団体で実施することになった。 平成10年度の資料によれば、市からの助成一柱340円で、263柱、8万9,420円、高木瀬校区から20万円、若楠校区から10万円、その他祝儀などの予算で遺族全戸に案内、慰霊祭を執行している。 なお、平成10年、忠魂碑の毀損がひどくなり危険な状態になったため、高木瀬・若楠校区内の一般から募金を募り、修復を行った。 平成13年からは、自治会で実施されている。