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[建造物][地蔵・銅像・石塔][金立校区]は5件登録されています。
建造物 地蔵・銅像・石塔 金立校区
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三嶋弁戈天祠
旧観音寺和尚慶舜はかねて三嶋弁財天を信仰していたので寺の境内近くの塘のほとりに石の祠を建て勧請したもの。現在も大門、金立の村祭りには毎年12月中に七五三縄を張り、御供を献して祀りつつある。又この祠のほとりに観音塘があり水利と景観を添えている。
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酒呑地蔵
金立町大門の中程より東へ約100m入った所をさらに畑の小道を登った小高い台地に等身大の石仏が祀られている。これが通称洒呑地蔵といわれ、酒を供え拝めば熱病をさますといわれ、往時は、無病息災の願望がかけられていたものと思われる。今日では時勢の推移につれて拝む人はまばらというが、過日写真撮影に行った時は御供物・御花などきれいに並べてあり観音様の着ているよだれ掛けなど新しく取り替えられ今日まで祈り続けた庶民の心情が偲ばれる。
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熱冷まし地蔵
地蔵菩薩は、観音菩薩とともに、最も庶民に親しまれ信仰されている仏である。 地蔵は、六道(天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄)の衆生を救い、極楽に行ける力を貸してくれると信じられた。また、近世になると民間信仰と結ばれ、火防、盗難除、病気平癒など庶民のあらゆる願いを叶えてくれる仏として祈願されるようになった。 この地蔵は、通称熱冷まし地蔵といわれ、お供物をし、祈願すれば熱病を治すといわれている。往時は、無病息災等の願望がかけられ、近郷の人々の詣出る姿が多く見られたが、今日では時勢の推移につれて拝む人もまばらとなった。しかし、いつも御供物、御花などきれいに並べてあり、今日まで祈り続けた庶民の心情が偲ばれる。
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五丁の地蔵さん
寛保3年(1743)建立で、「いぼ地蔵さん」とも言われている。 昭和5年、光を放つ別の地蔵さんが、横の河川から発見され、この頃からお供えの御水、胸かけを受け、誓願すれば万病に効くと伝えられており、現在も県外からの参拝者が来られている。 昔は、JR伊賀屋駅で下車して、多くの県外の人がお参りに来られて、列をなしていたと言われており、地蔵さんの前には多くの店が出て、地区では旅館作りの話も持ち上がったと言われている。 地区の人々は、米とお賽銭が混在して奉納されるため、仕分が大変だったと伝えられている。 現在も年に3回氏子による祭りが続けられている。
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疣取り地蔵
金立町野田の諸岡氏宅入口付近に疣取り地蔵の六地蔵が祀られている。 地蔵山とも言われて、4畝位の金立町野田地区共有の小高い山林に祭祀されて大切にされていた。 また、他地区の人たちも疣取り地蔵さんと崇めて、お参りされていたようである。 あるとき、誰かがこの六地蔵を持ち出して自分の屋敷内に祀ったところ、疣がたくさん出来たため、慌てて地蔵山に戻してお詫びをしたところ、疣が直ったという謂れもあるそうである。 地蔵山は、戦後諸岡氏が購入して屋敷となっているが、野田地区で小さな御堂を建てて祀られている。碑文や願文もないため、過去のことはわからないが、昔医者がいなかった時代の生活の一端が垣間見えるようである。