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[指定文化財][史跡][川副町]は3件登録されています。
指定文化財 史跡 川副町
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三重津海軍所跡
史跡
歴代佐賀藩主の御用船を置く船蔵があったところ。最後の藩主鍋島直正は海軍保有の大切さに気づき、弘化4年(1847年)この地に佐賀藩海軍所を創設し、佐野常民を所長として多くの海軍兵士を養成した。日本最初の蒸気船「凌風丸」もここで建造されたが、明治4年(1871年)廃藩とともに閉鎖された。 その後、明治35年(1902年)佐賀商船学校がこの地に設置され、昭和7年(1932年)同校が廃校になるまで、700余名の優秀な海員を世に送り出した。
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燈堂
史跡
戦国時代の勇将、龍造寺隆信(1529〜1584年)は、豊後の大友氏に内通した家臣に追われ、筑後柳川に近い一木村に身をひそめていた。天文22年(1553年)ひそかに水ケ江城奪還を企てていた隆信は、鹿江兼明らの船に乗り、犬井道地先の燈堂に上陸した。当時この辺一体は葦の生い茂った海岸で、航路の安全を祈る灯(燈=あかし)をつける堂があったことからアカシドウと呼ばれている。 上陸後、破竹の勢いで周辺の諸将を降した隆信は、遂に五国(肥前・筑前・筑後と肥後・豊前の一部)二島(壱岐・対馬)の大守となり、九州では薩摩の島津、豊後の大友と並ぶ戦国大名となった。 隆信の座像は、当初昭和28年4月南川副町制施行を記念して、地元の有志によって建立されたが、その後損傷が激しくなったため、平成10年9月に改築されたものである。
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此荷大明神
史跡
西川副小学校から南西方向に約500メートル、田畑が広がるなかに、ひっそりと立つ小さな祠がある。「此荷大明神(このにだいみょうじん)」と刻まれたこの祠には、戦国時代の勇将、龍造寺隆信にまつわる次のような言い伝えがある。 筑後一木村(今の福岡県大川市一木)に身をおいていた隆信が天文22年(1553年)再起を期して、海路から犬井道の燈堂に上陸したあと鹿江の威徳寺に入り、軍備を整えたとき、この地に軍荷を置いたというものである。 かつては、この祠を囲んで楠や松の大木と雑木が生い茂った森があり、地元の人から「コーノイさん」と呼ばれ親しまれていた。 昭和55年圃場整備事業で樹木は全部切り倒され、今では一基の祠を残すだけとなった。