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[指定文化財][史跡][本庄校区]は2件登録されています。
指定文化財 史跡 本庄校区
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高伝寺墓所
史跡
高伝寺は、天文21年(1552)に開山され、その後、鍋島家の菩提寺となった。 山門及び本堂は明治34年(1901)に改築された。山門に掲げられた扁額「恵日山」の彫刻の書は即非禅師の筆、また、本堂入口直上の彫刻の扁額「高傳禅寺」は、黄檗の僧、独立禅師の筆である。 高伝寺の境内の西側に位置する約45アールの墓地は龍造寺家及び佐賀藩主鍋島家の歴代の墓で塔や多くの石灯籠などが整然と並んでいる。墓域は明るくて広く、独特の雰囲気と調和の美を現わしていて、一種の墓地公園の観を呈している。 墓所は明治4年(1871)に、鍋島直大(なおひろ)が各地に散在していた前領主龍造寺家の墓及び鍋島家の墓をこの墓地に改葬した。東側一帯に龍造寺家の墓塔10基、西側一帯に鍋島家の墓塔16基が並んでいる。 近世の墓塔の変遷や佐賀の近世史を研究する上からも資料的価値が高い。
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鍋島直茂誕生地
史跡
佐賀藩藩祖鍋島直茂(なおしげ)は、天文7年(1538)に清房(きよふさ)の二男として、本庄館で生まれた。母は、龍造寺家純(隆信の祖父)の娘。現在、胞衣塚(えなつか)だけが残っている。初名は彦法師丸、信安、信昌又は信生、天正17年(1589)従五位下に叙し、加賀守となり、直茂と改めた。 戦国武将・龍造寺隆信のもとで武功を重ねた。元亀元年(1570)、豊後の大友義鎮(宗麟)の佐賀攻略に際し、今山(佐賀市大和町)に陣した大友勢を直茂の果敢な働きで、敗退させた。天正12年(1584)、龍造寺隆信が島原の戦いで戦死すると、龍造寺氏の領国の取締りに当たった。慶長12年(1607)、龍造寺政家・高房の死後、多布施に隠居し、家督を嫡子勝茂(佐賀藩初代藩主)に譲った。元和4年(1618)に81歳で没す。法名高伝寺殿日峯宗智大居士。 (写真:鍋島報效会提供)