検索結果 RESULT
[指定文化財][工芸品][大和町]は5件登録されています。
指定文化財 工芸品 大和町
-
銅鐘 建久七年十一月ノ銘アリ 一口
重要文化財
川上の山麓近くの佐賀平野を一望に見下ろすことができる高所に建つ健福寺は、和銅年間(708~715)に行基が創建したという古刹で、現在は真言宗御室派の寺院である。 鎌倉時代初期の様式をもつ和鐘で、竜頭(りゅうず)は双頭式(そうずしき)で方柱をかみ、鐘身部(しょうしんぶ)は袈裟襷文(けさたすきもん)で4区に区画され、笠形(りゅうけい)をはじめ上・下帯、池の間いずれも無文である。上方4区の乳の間に各4段4列計64個の乳をうえている。 撞座(つきざ)は竜頭の長軸線上にある新式の位置にあって、複弁八葉の蓮華文(れんげもん)である。口径は47.3センチメートルで鎌倉時代の平均口径64.0センチメートルに比べて小型である。総高83.8センチメートル、鐘身高68.0センチメートルで丈長である。乳や袈裟襷文(けさだすきもん)その他竜頭、撞座の陽鋳技術は幾分雑で、全面に肌荒れがしている。 建久7年(1196)の銘文が、中央部分の池の間に線刻されており、鎌倉時代初期の鋳造とわかる。この梵鐘は県下で現存する最古のもので、次期の肥前鐘出現までの遺例として価値が高い。 鐘身に次の線刻がある。 肥前國山田西郷 真手山奉鋳洪鐘壱口 右且為令法久住 且為法界衆生 奉鋳洪鐘矣 建久七年丙辰十一月十九日甲午 満山大衆 定西 睿秀 蓮生 永舜 長勢 良祐 聖舜 大檀那散位笠時貞 鋳師秦末則 伴兼経 笠貞茂 源守直 平助国 伴季忠 藤原道宗 藤三郎 貫首藤原真保 伴兼信 酒井貞経
-
金銅宝塔 一基
重要文化財
金銅宝塔は舎利を納置する宝塔である。もとは塔身内部に舎利容器を納置していたと考えられる。総高62.7センチメートル、塔身径は14.3センチメートル。宝塔は、二重基壇の上下・塔身・廻縁および高欄・上層組物・屋蓋および相輪の五部からなり、総体金銅製、一部鍍銀が施されている。 総体は細身でやや長い塔身は時代の特色をよく示すとともに、複雑な上層組物や要所に付された金具類、塔身の四方扉表面や内面に表された蓮華唐草文や八方天の流麗な線刻など、細緻な作りをみせる。 屋蓋の軒の大部分を欠いてはいるが、制作当初のうぶな状態を概ね良好に伝えており、南北朝時代の金銅宝塔の優品として貴重である。
-
仏具類 戒体箱 一合 説相箱 二口 如意 一柄
重要文化財
密教の儀式の際、法具を入れる名称の法具箱は正式には戒体箱(かいたいばこ)といい、また説相箱は居箱(すえはこ)と香爐箱(こうろばこ)のことをいっている。 戒体箱は戒文その他を納める法具で、居箱は次第・三衣などの法具を納め、香爐箱は柄香爐(えこうろ)をおく箱である。儀式の際、居箱は左の脇机に、香爐箱は右の脇机においた。 実相院に伝わるこれらの箱は、3合とも類似した構造で戒体箱は木箱の外側に金銅板を張り、縁は金銅の細板で縁取りし鋲止めしている。側面は輪宝羯摩(りんぽうかつま)などの金鋼製の金具を配し、中央に蓮実(はすのみ)形の鐶座(かんざ)をしつらえ丸鐶を通している。横37.0センチメートル、縦15.5センチメートル、総高16.0センチメートルで、蓋は上面に3個の輪宝と羯摩の飾り金具を配し、側面に金剛杵(こんごうしょ)の飾り金具がおかれている。 居箱・香爐箱は同大同構造で、飾り金具は戒体箱と同一であるが、横幅が広いため、床脚の格座間が横二区縦三区となっている。横36.0センチメートル、縦29.0センチメートル、高さ12.5センチメートルで蓋はない。 縁取板に「圓政寺・寶快代、天文元 三月日 重俊施 國嶋作」と線刻されており、中世末期のすぐれた工芸品として、その価値が高い。
-
水上懸仏 一面
重要文化財
佐賀市大和町川上水上にある彦山権現の小祠に奉納されていた懸仏で、径37.1センチメートルの鋳銅製である。懸仏は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の信仰から生まれた御正体(みしょうたい)がさらに新しい形式を生んだものである。この懸仏は、周縁は帯状の銅板で縁取りして鋲止(びょうど)めを施し、上方2カ所に獅子咬(ししがみ)のついた吊手が取りつけられている。御正体は薬師如来で、左右に2個の花瓶を取りつけていたが1個は失われている。また薬師如来の上方には天蓋があったと思われる鋲止めの跡がある。 薬師如来は鋳銅製で半肉彫(はんにくぼり)の背面に2個の作り出しがあって、鏡板(きょうばん)にとりつけられている。台座から肉髻頂(にっけいちょう)までの総高20.6センチメートルの坐像で台座には蓮弁の毛彫りが施されている。薬師如来は結跏趺坐(けっかふざ)し、薬壺(やっこ)を左手に、右手は施無畏(せむい)の印を結んでいる。条帛(じょうはく)・衲衣(のうえ)・裙(くん)等は鋳出しの部分のみでなく、毛彫が一部に施されている。 この懸仏は、鎌倉時代中期・文永8年(1271)に奉納されたもので県内では最も古い。当時の工芸品として、また当時の信仰生活を知る上から貴重な遺品である。 鏡背に次の墨書銘がある。 奉懸 御鏡一面 右意趣者為除平氏女三十三厄 并千代松御前御息災延命 増長福寿心中所願成就状如件敬白 文永八年七月十五日
-
石造四天王像立像四躯、石造宝篋印塔一基・石塔残欠一個
重要文化財
佐賀市大和町大字池上に所在する四天社は通称「しってんさん」と呼ばれている。「しってん」は四天王(してんのう)のことで、インドの古代神話に登場する神で、帝釈天の住む須弥山(しゅみせん)の四面の中腹に住し、仏法と仏法に帰依する人びとを守護するといわれている。東方に持国天(じこくてん)、西方に広目天(こうもくてん)、南方に増長天(ぞうちょうてん)、北方に多聞天(たもんてん)を配する。 池上の四天社は古墳を須弥山として高さ1メートルほどの石造の四天王を四隅に配して、中央に層塔を安置し大日如来とする。現在は破損、風化しているが、しっかりとした丸彫リ像で作者の技量の高さを伺わせる。数個の石材を組み合わせており寄木造りを思わせ、作者は木仏師である事を伺わせる。県内の石仏でこのような作例はなく、近世の肥前石工とはその彫りを異にし、平安時代の作と考えられる。 石造宝篋印塔は造りも丁寧で、形態から室町時代初頭の作と考えられる。