河上神社の祭神と石神(与止日女神社)

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河上神社の祭神と石神(与止日女神社)

■所在地佐賀市大和町大字川上1
■登録ID2103

 実相院の座主尊純が勝茂公に差出した河上社由緒差出書に、祭神は神功皇后の御妹与止日女大明神であるが、和銅6年(713)の肥前風土記の中に左の事が記してある。
 『此川上有石神。名曰世田姫。海神年常逆流潜上到此神所。海底小魚多相従之。或人畏其魚者無殃  或人捕食者有死。凡此魚経二三日還而入海』この世田姫は河上社の祭神与止日女神であるともいわれる。「世田」は「淀」に通じ、川の淀みが神霊化されたのではあるまいか。あるいは豫等比咩神とも書かれ、川上の石神世田姫神の事で、貞観2年(860)従五位下から従五位に敍され、更に貞観15年(873)正五位下に上っている。佐嘉郡唯一の小社で、後の河上神社の祭神であるとされ、昔の土地の人はここを「上宮」として河上社の神官が時々幣を奉っている。自然界の事物を神として信仰することはこのころ当たり前の事で、甘南備山そのものが神であったことも、石を神として崇拝することも珍らしい事ではなかった。さて、この石神を下田の石神群とする説と糸山貞幹翁著肥前風土記纂註による「石神は淀姫社の西方山上にあり」とする説がある。あるいは西方説ではないかと思われる事は、その地点は大岩石が多く、川上地区の淀姫社氏子はここを「上宮さん」と呼び、年1回のお祭の時、上宮さん周囲にはりめぐらす〆繩を新しく取り替えている。川上の石神に通う海神伝承は年毎に族を引きつれて2、3日留まって帰るとあるから、あるいは海人と山の民との交易を物語るものであるまいかと興味深い推定をする人もいる。

出典:大和町史P112〜114

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