大倉邦彦

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大倉邦彦

■所在地佐賀市
■登録ID972

明治15年(1882)4月9日、士族江原(えはら)貞晴の次男として、佐賀県神埼郡(かんざきぐん)に生まれる。昭和46年(1971)7月25日、89歳で没する。号は、三空居士(さんくうこじ)。
 明治25年(1892)勧興小学校卒業。同35年(1902)佐賀中学校卒業。明治39年(1906)、上海の東亜同文書院(とうあどうぶんしょいん)商務科を卒業後、大倉洋紙店に入社。明治45年(1912)、社長大倉文二(ぶんじ)の婿養子となり、大正9年(1920)に社長に就任した。
 わが国の教育界・思想界の乱れを憂えた邦彦は、私財を投入して東京の目黒に富士見(ふじみ)幼稚園を開いたり、郷里の佐賀に農村工芸(のうそんこうげい)学院を開設したほか、昭和7年(1932)に大倉精神文化研究所を開設した(昭和11年に文部省所管の財団法人として認可される)。邦彦は、所長として研究所の運営・指導にあたり、歴史・宗教・教育・思想各分野の研究者を集めて学術研究を進めるとともに、精神文化に関する内外の図書を収集して附属図書館も開設した。また、昭和12年(1937)、東洋大学学長に就任し、在任は2期6年にわたった。
 昭和20年(1945)、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘禁されたが、昭和22年に嫌疑がはれて釈放され、27年に研究所理事長兼所長に復帰した。
 昭和33年(1958)、タゴール記念会の理事長に就任、昭和36年には大倉洋紙店会長となり、37年の皇學館大學の創立に際して学事顧問となった。昭和41年東京佐賀県人会の顧問も務めた。写真は大倉邦彦と横浜市大倉山記念館(館内の一角に財団法人大倉山精神文化研究所がある。附属図書館を併設)。

出典:ブログ-ふるさと勧興