山口 亮一

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山口 亮一

■所在地佐賀市
■年代近代
■登録ID969

明治13年に生まれ、勧興小学校より佐賀中学校へ進む。明治39年、東京美術学校・西洋画科に入学し、岡田三郎助らの教えを受け、「白馬会」に出品する。その後、帰郷し故郷の風景や花など日本画、洋画を通じみずみずしい作品を多く残す。大正2年に、久米桂一郎らと共に「佐賀美術協会」を創設し後進の育成にも力を注いだ。山口亮一旧宅は、明治初期に白石町須古から与賀町に移築されたものである。

出典:ふるさと勧興(P.43)

山口亮一 略年譜
明治13年(1880)8月10日佐賀市赤松町において旧鍋島藩士中野到明の二男として出生、長兄礼四郎、長姉磯千代、に次ぐ第3子の辰年生まれとあって、辰三と命名。
明治19年6歳、医師山口亮橘の養子となり亮一と改名する。
明治36年23歳、佐賀市勧興小学校より佐賀中学を経て、東京早稲田中学校卒業、黒田清輝主宰の東京溜池白馬会洋画研究所に入所。
明治39年26歳、東京美術学校西洋画科入学。
明治43年30歳、第4回文展初入選(わら家)同年山口スガ(16歳)と結婚。
明治44年31歳、東京美術大学校首席卒業、帰郷して一生佐賀に住み製作と後進の指導にあたる。
大正2年33歳、第7回文展入選(薔薇と虞美人草)久米桂一郎、岡田三郎助、北島浅一、御厨純一などと佐賀美術協会を創設する。
大正3年34歳、第8回文展入選(花三種)。佐賀美術協会展覧会第一回展を県会議事堂にて開催。
大正4年35歳、第9回文展入選(白い芍薬)
大正7年38歳、第12回文展入選(鉄砲 合)
大正9年40歳、第2回帝展入選(燈下の静物)宮内省買上げを賜る。
大正10年41歳、佐賀県師範学校に奉職、昭和18年退職まで23年間美術教諭を務める。
大正11年42歳、第4回帝展入選(鳥と子供)佐賀美術協会展覧会第一回を県会議事堂にて開催。
大正15年46歳、第7回帝展入選(縁の庭)モデルはスガ夫人
昭和11年56歳、帝展の無鑑査になる(菊花)。
昭和13年58歳、日展無鑑査出品(白い薔薇)
昭和14年59歳、日展無鑑査出品(爛漫)
昭和16年61歳、日展無鑑査出品(山路)
昭和21年66歳、佐賀美術工芸研究所を開設し、陶磁器美術指導。
昭和24年69歳、佐賀県文化功労者として県教育委員会より表彰を受ける。
昭和32年77歳、佐賀新聞文化賞を受ける。喜寿展を佐賀商工会館にて開く。
昭和33年78歳、喜寿画業展を県文化館ホールにて開催。
昭和34年79歳、東京日比谷画廊にて個展を開く、社会教育功労者として表彰される。
昭和37年82歳、佐賀県知事より文化功労者として表彰される。
昭和41年86歳、勲四等に叙せられ、瑞宝章を受ける。
昭和42年87歳、10月30日永眠。11月4日佐賀市与賀町の浄土寺において佐賀美術協会葬。

 

出典:山口亮一旧宅パンフレットより