修理田神社(熊野権現)

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修理田神社(熊野権現)

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■所在地佐賀市巨勢町
■登録ID691

権現堂部落(東分下)の東端に熊野権現があり土地の人は権現さんという。祭神は伊弉諾尊、伊弉冊尊、素盞鳴尊という。
古びた石門の刻字は、慶応3年(1867)のものである。(原文は漢文体)
熊野権現は神也。例(ためし)には大明神と称すべし。権現と称するは蓋し釈氏の加うる所なり。中世以還流俗相沿い更に之を知るなし。高平郷の東に一曲地あり。居民二十余家能く力田す。(中略)その地松林に接す。老樹植り森は小山の如し。故に千本山と号す。山中に小祠あり、熊野の神を奉安して歳時これを祀る。因りて亦その曲を名づけて権現堂という。(以下略)
また、田原磐門などの由緒提出書によれば天正7年(1579)田原伊勢守尚明が千本松と申す所に熊野権現社を勧請したものとあるから、千本松の森も400年前からあって、権現堂という名も熊野権現にちなんだものと考えられる。
古老の話によれば、千本松は千本山ともいわれ、明治初年までは広さ6反歩に及ぶ大薮で、松、樟など生い茂って、昼なお暗く大人でも淋しがる程だった。その林の中に権現社が鎮座していて、この千本山の周辺は野狐や蛇がたくさんいたと言う。明治20年に開墾されて現在の姿になり開墾された水田4反は村の共有として、神社費、部落費にあてられたが現在は個人有となっている。当時の開墾記念碑が現在境内にある。

出典:巨勢P.26巨勢町見てあるきP.37

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