古代の兵庫
古代の兵庫
■所在地佐賀市兵庫町
■年代古代
■登録ID585
兵庫町の南部、瓦町、下分、千住、牟田寄方面の堀岸から、カキ殻が掘り出され、また弥生式土器と認められる素ガメや、土器の破片も多数発掘されていることから、この地帯も案外早く人々が住みついていたことが想像される。千住付近から出土した素ガメ1個は兵庫小学校に、2個は千住経島寺に保管されていた。なお凹石や石包丁も出土したという。
兵庫の川西地区には、北の方から渕頭(東渕)、西渕、下渕の地区があり、東渕の隣地区に上渕(高木瀬町)がある。大昔、この地方はまだ有明海の入江で、その波が打ち寄せていた所であるから、渕と呼んでいたといい、北の方から渕頭、上渕、下渕、西渕などの名が付けられたという。当時の有明海は、現在の沿岸の様相と大変違って、らっぱ状に内側から次第に八の字形に広がっていたのではあるまいか。
出典:兵庫町史p37