小柳勇

小柳勇

■所在地佐賀市兵庫町
■年代近代
■登録ID571

大正14年2月堀立に生まれ、昭和16年3月佐賀中学校を経て、4月海軍甲種飛行予科練習生として土浦海軍航空隊に入隊し、続いて海軍第28期飛行練習生となった。昭和18年卒業と同時に海南島、比島、上海などに渡って、太平洋戦争の最前線で航空隊員として活躍した。幸いにして復員したが、兵庫町青年団の再建に尽くし、県連合青年団の体育部長、総務などの要職に就き青年団の発展に貢献した。昭和26年上京して国会記者となり、参議院議員特別秘書を勤め、昭和34年帰郷した。県会議員選挙に当たり、全町挙げての推薦によって立候補を決意しみごとに当選した。34歳で当選以来毎回トップで当初より4期、土木、総務、産業の各部委員長を歴任して力量を発揮した。「誠実に生きること」をモットーに人々の手足となり、労苦を惜しまず、わけ隔てなく人に接した。
昭和49年病魔の犯かすところとなり、「なすべき約束を十分果たせなかったことが残念だ。」と人々にわび永遠の眠りにつかれた。
年齢いまだ49歳、惜みてもあまりある人材であった。葬儀は2月24日、兵庫小学校体育館で挙行された。26団体の合同葬となり、会葬者は式場にあふれ、運動場はもはや駐車の余地がなかった。

出典:兵庫町史p216