中野子功 

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中野子功 

■所在地佐賀市兵庫町
■年代近代
■登録ID568

豪農中野子徳太郎の長男として明治38年9月11日伊賀屋に生まれた。資性豪邁で才能衆に秀で、佐賀中学を卒え早稲田大学に学び、昭和3年7月兵庫村役場に奉職した。父は前記の通り県会議長として県政に貢献したが、この親にしてこの子あり、その才幹はつとに村民の注目するところ、昭和8年には村警防団長に推され、同11年には兵庫村助役に抜擢された。時に年令33歳であった。政治的手腕と行動力はよく村民を誘導し、中央教化連合会より教化村に指定されたが、これは氏の功績によるといえよう。昭和13年3月県会議員に当選したが、病身の村長を助け村治の責任を一身に負い、また翼賛壮年団長、八田江水利組合議員、県参事会議員などの要職を兼ね、東奔西走寸暇もなかった。特に教育教化の面に、氏は本村の伝統を守りその実績をあげた。しかしその体力には限界があった。村会終了の後、俄かに健康を害し病床についたが、昭和20年5月13日忽然として他界された。父中野子徳太郎氏も51歳の若さで村長、県会議長の現職のまま逝去されたが、氏もまた議員在任中41歳でその才腕を惜しまれつつ他界された。

出典:兵庫町史p213