牛嶋口跡

牛嶋口跡

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■所在地佐賀市東佐賀町271番及び291番1から291番3まで並びに河川の一部
■文化財指定状況佐賀市 史跡
■文化財指定日令和5年3月20日
■登録ID5438

江戸時代の佐賀城下には主に六箇所の入口(牛嶋口、八戸口、今宿町口、唐人町口、多布施町口、天祐寺町口)があり、木戸や番所を設けて通行人を監視していた。そのなかで、城下東に位置する牛嶋口は、牛嶋構口や慶長町口とも呼ばれ、城下の大手口として格式の高い入口のひとつとされていた。
 平成28年度の発掘調査で、絵図と合致する橋の土台が発見されたことで、番所の位置も特定でき、「牛嶋口」の位置が明確になった。さらに、橋土台に築かれた石垣は、「輪取り」や「シノギ角」など、城の石垣構築に通じる技術集団の係わりが推測されるもので、対外的に見せることも意識した造りであること、橋桁を支える「枕土台」を検出したことで、絵図や文献資料から、長さ20m、幅6m規模の太鼓橋であったと考えられること、街道は砂と粘土を何層にも突き固めて整地され、人や荷車などが通るため以外に、別の意図があったことが想像される強固な地行が行われていることなど、この場所に対する佐賀藩の強い意識がうかがわれる痕跡が明らかになった。
 明治時代以降、主要道路に架かる橋の多くは近代的な橋に架け替えられ、古い時代の痕跡は失われてきた。そのような中、牛嶋口の遺構が残されたのは、場所をかえて新たな橋が架けられ、その後も大きな開発の手が加えられなかったことが要因である。
 牛嶋口跡は、佐賀城下の入口を示す遺構が良好な状態で残り、今では失われた橋と街道遺構の構造が一体的に判る貴重な資料として全国的に見ても数少ない例である。さらに佐賀城下を形成するにあたり、歴史的、地理的に重要な場所である。


関連情報(※URLをコピーしてご利用ください)
https://www.city.saga.lg.jp/main/50105.html