勢屯

勢屯

  • 勢屯

■所在地佐賀市松原3丁目付近
■登録ID5395

勢屯は「せいだまり」「せいだまる」「せいとん」等と読みます。勢屯とは城郭の中や城下町の出入口である構口や辻などに設けられた広場・たまり場を言います。戦国時代は人馬や武器を揃えて陣容を整える場所であり、江戸時代の参勤交代の際は行列を整えたりする場所としても使用されましたが、主に馬の調練場である馬場の役割を果たしていました。
 元文5年(1740)「元文佐賀城廻之図」(公益財団法人鍋島報效会所蔵)には、欄干橋の南に「勢屯」とあり、現在松原3丁目にある深川製磁佐賀店前の交差点一帯に位置していたことが分かります。なお、城下町としての勢屯町は、さらに北に位置しています。
 近世城下町にはこのような馬場がいくつか設けられ、城下に在住する武士が乗馬調練などを行うために使用していました。この場所の勢屯は、「文化御城下絵図」(公益財団法人鍋島報效会所蔵)には記されておらず、文化年間の中頃(1810年頃)には勢屯としての機能はなくなっていたようです。
 この他にも佐賀城北御門の北側や、西堀端小路辺りにも勢屯がありました。
 勢屯から東に向かうと、裏十間川の南側に片田江七小路の一つ、馬責馬場(うませんばば)があります。馬の調練場である馬場(勢屯)があったことから、この名がついたものと考えられます。馬責馬場の名称は地名として、今も使用されています。
 なお、通りの北側にある裏十間川沿いの土手は、「土手際小路」と呼ばれていました。

出典:豊福英二氏(郷土史の調査研究)

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