帯隈山神籠石

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帯隈山神籠石

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■所在地佐賀市久保泉町大字川久保 佐賀市
■文化財指定状況国 重要文化財
■文化財指定日昭和26年6月9日
■登録ID5347

神籠石は佐賀市の北部山麓に築かれた古代山城(やまじろ)である。帯隈山(標高175メートル)を中心に切石を並べた列石線が約2.4キロメートルの長さで一周し、途中、北面に門跡1か所、南面に水門推定地3か所がある。昭和16年(1941)に発見され、同39年に発掘調査された。
列石線は帯隈山から天童(てんどう)岳、清兵衛(せいべい)山にかけ、尾根上を地形に合わせて複雑に屈曲し、途中、小さな谷を渡る場合は出水に備えて水門を設けていたと思われる。全体としては北側山頂部から下って南側山裾を廻り、2、3の低丘陵を取り囲んで馬蹄(ばてい)形状をなす。列石の用材は花崗岩(かこうがん)で、高さ60センチメートル前後の直方体に切りそろえられたものである。
神籠石という名称は、かつてこの列石が神域を示すものと考えられていたことによるが、発掘調査の結果、実は列石は土塁(どるい)の基礎であり、その背後上部には高さ2、3メートルの土塁が版築(はんちく)によって築かれ、また石塁前面の平坦部には約3メートル間隔で木柵が立てられていることがわかっている。
神籠石は現在、北部九州から瀬戸内一部にかけて12か所知られる。しかし、その存在は文献に明らかでなく、また規模や立地、域内に建物跡がみられないなどの点で、基肄城(きいじょう)跡など朝鮮式山城と様相が異なる。6、7世紀ごろの築城とされるが、正確な年代、目的、性格となると不明で、今日でもまだ謎が多い。