初代肥前国忠吉の墓地

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初代肥前国忠吉の墓地

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■所在地佐賀市伊勢町 真覚寺
■文化財指定状況佐賀市 史跡
■文化財指定日昭和48年2月11日
■登録ID5238

肥前刀の刀工の祖である初代肥前国忠吉の墓が真宗本願寺派の真覚寺にある。
初代忠吉は元亀3年(1572)高木瀬村長瀬に生まれ、橋本新左衛門と称した。慶長元年(1596)上京して埋忠明寿(うめただみょうじゅ)の門に入り、刀工としての技を磨き、慶長3年(1598)に帰国して佐賀城下(現在の佐賀市長瀬町)に居を移し、佐賀藩の抱刀工となった。元和10年(1624)に再度上京して武蔵大掾(むさしのだいじょう)を受領し、後に名を忠広と改めている。
日本の刀剣史上、肥前新刀の占める比重はきわめて大きく、このことは桃山時代末期の刀匠である初代肥前忠吉の功績がいかに大きいものかを裏書しており、初代肥前国忠吉は本県の刀剣史上きわめて価値が高い人物である。