多久安輝の墓誌

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多久安輝の墓誌

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■所在地佐賀市八戸一丁目 龍雲寺
■文化財指定状況佐賀市 重要文化財
■文化財指定日昭和62年3月25日
■登録ID5179

多久安輝の墓誌は、県内では多久市の「川浪自安先生墓誌」に次ぐ2例目のものである。形状は縦7センチメートル、横35センチメートル、高さ16センチメートルで重箱状を呈し、石質は安山岩系である。
墓誌には、多久安輝の父は多久美作守で、五男。母を本藩主勝茂の二女とし、城内水ヶ江で生をうけ高木村にて数え69歳で没したことなどが記されている。安輝については多久家系譜にもその名が見え、生誕{正保2年(1645)9月29日}、没年月日{正徳3年(1713)5月14日}も一致するが、その人物に関しては詳しい資料がなく、今回の発見がその手がかりになると考える。また、慕誌の埋納は儒学隆盛を背景にして古代の風習を再度取り入れたもので、佐賀藩における儒学研究を行う上で重要な資料といえる。