天神橋

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■所在地佐賀市呉服元町(願正寺の東南)
■登録ID516

願正寺の東南に天神橋がある。この橋から南に入る小さな路地があり、この路地を昔は、『新堀端』と呼んでいた。
 かつて関ヶ原の戦いに西軍に組みしていた鍋島藩は、伏見城を攻め下して、伊勢の阿濃津城を攻撃中西軍の敗戦を知り、進退に窮してしまった。このとき、徳川家康公の側近で顧問の地位にあった小城の元佶長老と、西本願寺の准如上人がとりなしにつとめたので、鍋島藩の危機存亡を脱することができたのである。この恩に報いるため小城に『三岳寺』を、西本願寺のために『願正寺』を建立した。
 この願正寺に創建後寺領を与え、また、これまでの真宗寺を西本願寺派の願正寺に所属するようお触れを出した折り、それに従わなかった他派の人々がいて、首謀者が捕らわれ鎮静し、やがて捕らわれていた首謀者も許されたが、その罪を償う意味で、この『新堀』を掘らされたものである。願正寺では、鍋島家のためよく勤めた。例えば寛永2年千栗の堤防が決壊したとき、願正寺は国内の門徒を集め、天建寺前の360間を修復した。費用もまた門徒で賄ったので、これを御馳走土井といった。

出典:ふるさと循誘(P.182)

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