佐賀中央銀行

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佐賀中央銀行

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■所在地佐賀市呉服元町
■登録ID483

 現在、旧佐賀銀行呉服町支店となっていたところは、かつて、昔ここにあった佐賀中央銀行と、現在佐賀銀行本店のあるところに佐賀興業銀行本店があったが、この県内を二分していた両銀行が、昭和30年7月11日歴史的大合併をしてここに佐賀銀行が誕生した。佐賀中央銀行は、唐津銀行と西海商業銀行とが昭和6年8月に合併して、新しく誕生した銀行である。明治18年10月、佐賀市柳町に本店のある三省銀行は、唐津支店の営業を譲り受け、店舗は三省銀行の支店を引受け、11月2日に開業し頭取は、弱冠26歳の大島小太郎が就任した。 同銀行は、大商家が軒を並べる繁華街で立地条件にも恵まれ、順調に滑りだし、資本の増資や役員を増し経営陣の強化を行い、明治24年には純利益が、佐賀県下で一番になった。また、唐津銀行役員を中心とする30有余名の有志が、唐津鉄道㈱を設立し唐津から厳木まで開通したり、相知炭坑が機械化、火薬の使用、有望な炭層の発見などの条件に恵まれ経営が発展していった。明治45年4月、創立以来28年にして唐津の中心地に新築移転した。建物は、唐津が生んだ有名な工学博士辰野金吾が監督し、設計は清水組の田中実工学士、京都高島屋が装飾を受持1年7ヶ月をかけて竣工した。この西洋風の広壮雄大な建物に唐津市民は大変驚いた。以後今日まで当時の面影を残し、文化財的価値を高めている建物である。福岡県前原町の糸島銀行本支店6店を大正10年に合併し、また、唐津町に本店を置く相互銀行を大正13年に吸収合併した。関東大震災後、佐賀市の伊丹一族が経営する栄銀行が、深川造船所の破産により大きな打撃を受けていたので、両者の旧知である松永安左衛門の仲介もあって大正14年5月唐津銀行が栄銀行を吸収合併した。第一次大戦後不況の長期化により、銀行経営環境も悪化し、国県の意向も受けこれまで同じ唐津で明治後半以来のライバルであった西海商業銀行と合併し、昭和6年8月、佐賀中央銀行を新設した。昭和21年12月本店を唐津市から佐賀市呉服町に移し、昭和30年佐賀銀行呉服町支店となった。

出典:ふるさと循誘(P.129)

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