楊柳亭

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■所在地佐賀市松原3丁目2-37
■年代近代
■登録ID475

 楊柳亭は、明治15年(1882)5月、岸川平左衛門が創業し、屋号は『新川崎屋』と呼んでいた。初代佐賀県知事鎌田景弼は政務に多忙であったが、無類の左党で鋭気を養うためよくここに通っていた。しだれ柳の多かった場所にちなんで『楊柳亭』と同知事が命名した。この鎌田知事は、熊本出身で弱冠42歳で5年2ケ月の在任であったが、豊かな実力と豪放の性格で、県政発展に尽くした人であった。なかでも、当時博多久留米間の鉄道開通について努力し、『佐賀にも一つ位駅がなければ』とのことで鳥栖駅が設置されたといわれている。楊柳亭では知事の肖像写真のほか『酔石景弼』の銘入り花瓶が大切に保存されている。なお、佐賀市大和町川上宝塔山内には『鎌田景弼先生の碑文』という記念碑がある。また、第25代の吉村哲三知事は、徹底して楊柳亭通いをしていた。この飲代は、知事給与の大半を使っていたという。まさに豪遊、それでも夫人の実家が富豪で毎月の生活費は、妻の実家から届けられていたとのことである。この知事の任期は僅か8ケ月だったが、当時県社の佐嘉神社を別格官幣社に昇格させるなどの努力をされた。この楊柳亭には、佐賀で有名なあの座敷唄『梅干し』の記念碑があり、毎年2月同好者が相寄り『梅干し』の唄会が開催されている。この記念碑は、昭和38年城内公園に建てられていたものを、昭和47年楊柳亭に移設されたもので、歌碑には、『しわはよれどもあの梅干しは色気はなれぬ粋なやつ』と書かれいる。この歌は、佐賀市光明寺第12代の住職龍ケ江良俊師の作詞である。昭和24年5月全国を行幸なされていた昭和天皇陛下が佐賀の地にお立ちよりの際、『楊柳亭』に宿泊されたこともあった。この楊柳亭の庭に織部灯籠がある。別名キリシタン灯籠とも云っている。また、本庄の高伝寺や蓮池公園にもこの織部灯籠がある。京都の桂離宮には24基の石灯籠があってその中に約3分の1に当たる7基がいわゆる織部灯籠である。古田織部は、慶長5年57歳で、茶道の上では天下一となっている。また単なる茶道の大家にあきたらず、造園や建築にも非凡な才能をもち新しい芸術をめざしていた建築家であり、総合デザイナーでもあった。建築・造園は古田織部の愛弟子で、当代一流の建築家となっていた小堀遠州が恩師の死をいたみ、それとなく気付かれぬように、桂離宮という景色の中に織部への敬慕の思いをひそかに織部灯籠に託したものと考えられる。この灯籠は竿を地に生け込むことから高さを周囲の景色と調整できるといわれている。(古田織部の世界から)

出典:ふるさと循誘(P.91)

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