牛島神社の金刀比羅神

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牛島神社の金刀比羅神

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■所在地佐賀市東佐賀町15-30
■年代古代
■登録ID466

 金刀比羅神は海上での交通安全、大漁満足の神として、漁師・水上関係者ら船舶関係者が特に信仰を寄せる神様である。この神は梵語(古代インドの文語)のクンピーラから出たといわれ、インドの聖なる河に棲むワニを、神格化したといわれ、水の神、海の神として信仰された。 日本に渡来して讃岐の国(香川県)琴平に祀られ、『金刀比羅』権現の本宮となって、全国の金刀比羅信仰の中心になっている。正式には『象頭山金比羅大権現』というのが正しい呼び方である。明治になって神仏混淆を禁ぜられてから、金刀比羅宮(ことひらぐう)と呼ばれるようになった。現在は、大物主命(おおものぬしのみこと)を祭神として、崇徳天皇を相殿として祀ってある。もともと農神であり水神であったため、農民の間にも信仰され、特に雨乞いの神として霊験があったといわれる。それが室町時代以降になり商業が盛んになるにつれて、海上交通、海運業が盛んになり、瀬戸内海交通の守護神のように崇められ、かつての農神、水神としての影が薄くなった。 瀬戸内海の海上交通は、現在想像する以上に盛んで政治、軍事、経済に大きな役割を演じていた。平常は鏡のように穏やかでも、一度荒天ともなれば波浪が高く突風が起きたり、たくさんの島々で潮流が複雑となり大変危険で、また海賊が出て航海の難儀は、おのずから危険をさけ守護してくれる神を信仰することになった。海上で遭難したとき、金比羅大権現の名を口に唱え、毛髪を切ったり、持物を海中に投ずれば難をまぬがれるという。また、暗夜に船の行く先がわからなくなったとき、この神を念ずると、きっと、ひとかたまりの火がぼーっと現れ、それを目あてに漕いで行けば、無事着岸できるといわれていた。金刀比羅宮が今日伊勢に劣らない程全国民の信仰を集め、一年間お参りする人は、400万にも及んでいるといわれるように繁盛したのは、江戸時代になってからで、慶安2年2月(1649)に幕府の朱印地となって、330石の地を給せられ、宝暦10年5月(1760)には勅願所と定められたりした。また、ここには四国第一の芝居小屋『金丸座』が常設されて、大坂や江戸の千両役者も出演し、西国の大名なども参勤交代の途中にここに立ち寄って芝居見物をしたともいわれ、3月、6月、10月の顔見世興業がとくに人気があった。佐賀市金立町の金刀比羅神社は、四国の金刀比羅宮分神で今から1300年程前に勧請されて、龍造寺、鍋島家の勅願神社として海上安全のほか農業殖産、医薬祖、福徳円満縁結びの神として祈願立願で庶民も合わせて心の支えとしてきた。牛島神社にも金刀比羅神が祀ってある。

出典:ふるさと循誘(P.35)

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