龍雲寺(曹洞宗)

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龍雲寺(曹洞宗)

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■所在地佐賀市八戸1丁目6-35
■登録ID444

 開山は、大用宗俊。1532年(天文元年)龍造寺家重が村中龍造寺家和の養子となった於保胤宗(後の八戸氏)の妻などを弔うために建立したということです。
「葉隠」の口述者、山本常朝は、1570年(元亀元年)に、龍造寺氏との争いで戦傷死した八戸宗暘の子孫です。常朝は、1719年(享保4年)に61歳で没しました。墓地には「旭山常朝菴主」と彫られた墓とその一族の墓があります。
 常朝の墓の背後にある顕彰碑は、葉隠研究家の中村郁一が建立したものです。
 また、ここには儒学研究の資料となる「多久安輝の墓誌」(佐賀市重要文化財)があります。
 龍雲寺一帯は、室町時代八戸一帯に勢力を誇っていた豪族於保氏(のち八戸氏と改める)の居館跡である。

※『佐賀県近世史料第十編第二巻』のp8「龍雲寺本末御除地并無縁地破壊地差出帳」の解題によれば、「龍雲寺はもと済家宗水上派に属す慶聚寺といい、天文元年(1532)大用和尚中興地で、八戸の地に移り、慶聚山龍雲寺と改める。開基は悦心妙慶大姉(功(剛)忠公姫)、開山を大用の先師奇伯和尚(長州太寧寺)とし、二世中興大用和尚とする。天文十六年まで住持を務める。」とあり。

出典:日新校区史跡ガイドマップ

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