ゴミホイ(ゴミアゲ)

  1. 旧佐賀市
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ゴミホイ(ゴミアゲ)

■所在地佐賀市嘉瀬町
■登録ID40

 村の中を縦横に走る堀は、上水道が完備するまでは、炊事、洗濯、風呂などの日常生活を支え、稲作の潅漑用水を供給する極めて重要な役目を担っていた。堀の水を清浄に保ち堀の水を流れやすくするためには、堀の底に貯った泥土をあげる作業が欠かせなかった。泥土をあげて堀の深さを保つ作業をゴミホイと呼んで、冬の農閑期に村のクヤク(公役)として行われることが多かった。ゴミホイは堀を深くして、防火用の溜め水の場にしていた。
泥土をあげる田にモミガラを敷く。堀を区切って水を落とし、堀の両岸にミチギ(足場)を組む。ミチギの上に4、5人ずつ乗って向き合い、ゴミオケにつけた親綱と子綱を引き、呼吸を合わせて桶を操作し泥土を汲み上げるのである。堀の中では、カスイで泥土をかき集めて汲み上げやすくする。すべて呼吸を合わせ、反動を利用しての操作である。
この共同作業とは別に個人でゴミホイをすることもあった。堀の底にのめりこまぬように、4、5本の竹を藁縄で編んだスクラを置き、その上に乗って、カンピョウエ(柄の長さ1.4mほどの木製匙状の道具)で泥土を田圃へ、ほうり上げる作業である。いずれも力のいる重労働であった。あげられた泥土は放置して1ヶ月もすると、大きくひび割れする。これを小さく砕いて田圃の肥料とした。ゴミホイは後にモーターを利用した機械でするようになったが、やがてゴミホイも今では全く見られない。

出典:嘉瀬町史 (P.154〜P.155)