売茶翁

売茶翁

  • 売茶翁

■所在地佐賀市蓮池町
■年代近世
■登録ID376

売茶翁は俗名を柴山元昭といい、蓮池藩に仕える武士の子として西名に生れた。
少年の頃、東ノ巨勢、龍津寺に学んだが上洛して宇治の黄檗山万福寺に入り、のち諸方を行脚して再び京に帰り、享保20年、61歳のとき、東山に「通仙亭」という茶亭をかまえた。
『落栗物語』という書物によれば、頭はまるで、まっ白な蓬(よもぎ)を頂いているように白く、髭はひざにまで届きそうであった。大きな篭の中に茶を煎じる道具を入れ、それを荷なって風情のある所で茶を煎じ、「茶銭黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、只のみも勝手、只よりは、まけ申さず」と貴賤の区別なく、茶を振舞ったという。
売茶翁の偈語(げご)の中に「相国寺にあそび楓樹の下で茶を煎ず。」というものもあり、「大典禅師をたずねて相国寺におもむいた。」ともある。翁はいつも大きな籠を背負っており、その中に入れられた18種の道具には高僧文人の詩文が書き込まれていたと言われる。
煎茶道の開祖と言われる。
生家は、西名道畹端にあったがのち北名に移り、現在建物の一部は大橋(大宝家)に残っている。

出典:芙蓉P.162