蓮池藩第7代鍋島(甲斐守)直温

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蓮池藩第7代鍋島(甲斐守)直温

■所在地佐賀市蓮池町
■登録ID373

在位43年(1773〜1816)
直寛の長男、わずか7歳で家督を継いだ。天明元年4月、旧会所を学寮として藩士を通学させた。この学寮は同4年成章館と命名された。初代教頭は攝津尼ヶ崎の人で栗原嘉十という人である。同じ頃諸国飢饉となり肥前地方も凶作、疫病流行の年が続いた。蓮池藩でも天明7年には飢えた庶民のため神埼町、本町、蒲田津で廉価米を出して救恤している。このように天災が続いたほか、幕命による土木工事請負などが重なり藩財政は極度に悪くなった。寛政中期頃には負債のため領地は概ね抵当となったと記載されている。
また、この時代になるとロシア、イギリスの艦船がしばしば我国の近辺に出没するようになり、時には長崎にも侵入するなど世情はようやく騒がしくなってくる。幕命によって伊能忠敬が全国測量図を作るため蓮池城下、蒲田津を測量したのは文化9年9月21日である。

出典:芙蓉P.74