蓮池藩第4代鍋島(攝津守)直恒

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蓮池藩第4代鍋島(攝津守)直恒

■所在地佐賀市蓮池町
■年代近世
■登録ID370

在位32年(1717〜1749)
若冠17歳で襲封した直恒は歴代中最も不運に見舞われた藩主であろう。
享保17年(1732)西日本一帯に及んだ大飢饉は佐賀平野を中心にして筑前と肥前が最も甚だしかったようである。翌18年にかけ佐賀藩内で餓死した者約8万人と推定され享保16年37万2千人だった佐賀藩の人口は同19年には29万2千人まで減っており約8万人の犠牲者の中、男5万5千人、女2万5千人と目立って男に餓死者が多かった。この中には蓮池領民も多数含まれていることは勿論である。この享保の飢饉を最大として公の在任中天災に見舞われること十数回、神埼町、城原町の大火2回、疫病の大流行があったりしている。また、災害凶作のため藩の歳入に欠陥を生じ享保14年には藩士に告諭して大出米を課した。このように苦難の連続の中で直恒は寛延2年10月16日、48歳で他界した。

出典:芙蓉P.73