蓮池藩の成立

蓮池藩の成立

■所在地佐賀市蓮池町
■年代近世
■登録ID347

寛永14年(1637)10月中旬、島原、天草のキリスト教徒が蜂起し、島原城を攻めた。このことは11月9日になって江戸に急報され、九州の各大名は急遽領国に下ったが、鍋島家では勝茂の子元茂と直澄が14、15日相次いで江戸を起って下国した。12月5日、元茂、直澄は佐賀に着き、元茂は搦手、直澄は大手の指揮をとることになり、佐賀勢の総指揮官には直澄がなった。佐賀勢は立花、有馬、松倉の諸勢と共に上使板倉重昌の指揮下に入り、19日から原城の攻撃にかかった。戦闘は激烈で久しきにわたったが直澄はよく戦い戦功が少くなかった。直澄ときに23歳であった。
鍋島甲斐守直澄は佐賀藩初代藩主勝茂の三男である。勝茂はかねて2代藩主に予定されていた忠直が若くして病死し、その子光茂(4歳)が幼いことから三男の直澄に家督を譲ろうとした。しかし幼少とはいえ嫡男の子が現存しているところから当時小城藩主であった元茂等の強い反対があり、勝茂も強いて押し切ることが出来なかった。
このような事情があったところへ直澄の島原の乱における優れた戦功もあり、寛永16年(1639)藩主勝茂は直澄に対し藩領のうち佐賀、神埼、藤津、杵島、松浦5郡の地から79か村52.625石を分ち、蓮池に封じ、諸侯に列せしめた。ここに鍋島直澄を初代とする蓮池支藩は成立した。

出典:芙蓉P.67