龍造寺氏から鍋島氏の統治まで 2
龍造寺氏から鍋島氏の統治まで 2
■所在地佐賀市蓮池町
■年代無し
■登録ID346
慶長16年、鍋島一族は新築なった佐賀城へ移り、蓮池城は城代に管理させているが、『佐賀年譜』によれば「石井党の頭々へ城代、城番を仰せ付けられたり云々」とあり、その役割は次のようになっている。
御本丸城代 石井孫右衛門
駕輿丁出城番 石井五郎衛門
小曲出城番 石井壱岐守
蒲田江出城番 石井又左衛門
この石井一党による蓮池城の管理は元和元年(1615)大坂夏の陣によって豊臣家が滅び、徳川政権が確立するとともに出された「一国一城令」の公布によって蓮池城がとり壊されるまで約4年間続いた。
この時とり壊された蓮池城の天守、櫓、塀等の材木や瓦をもって佐賀城の本丸や二の丸が構築されたのである。
出典:芙蓉P.64