小田氏の統治

小田氏の統治

■所在地佐賀市蓮池町
■年代中世
■登録ID344

小田一族の墓碑は今は巨勢町東巨勢龍津寺にあり弔う人も稀のようである。
さらに小田氏にかかる悲話は鎮光の妻室阿安(おやす)である。阿安は龍造寺家の嫡流たる胤栄の女であったが、父が死んで母が隆信に再嫁したため阿安も隨って隆信の女となった。隆信の政略的犠牲となって鎮光に嫁せられたのである。鎮光の惨死に悲しんで自殺を図ったが果さず、さらにまた唐津城主波多三河守親に再縁を強いられた。しかるに波多氏は征韓役で戦陣中卑怯の振舞があったとして改易遠流となり、第2次征韓役で戦死を遂げた。そこで阿安は佐賀に帰り尼となった。静室妙安尼と呼ぶ。現在妙安寺小路に所在する妙安庵は同尼の庵室があったことに因んだものである。
阿安に関してはその容姿が頗る美しく、豊太閤が名護屋に滞陣中、阿安の世評を耳にし召見を強いたところ阿安は自らその面を焼いて謁し太閤の意に逆った。このことが夫三河守親改易の因となったとも伝えられている。

出典:芙蓉P.62