宮分の鐘掛松跡

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宮分の鐘掛松跡

■所在地佐賀市久保泉町宮分
■登録ID2958

 宮分鳥居原集落の北に、土地の人が「鐘掛松」と地名をさしていっている。
 今は道筋も、川筋も直線化しているが、元は道路も川も大木の松を中央にして曲っていた。樹齢700年を越すとさえ言われた程で、根廻り6mはある老松。樹姿も美しかった。
 敗戦後枯れたが、松食い虫の痕跡は無く、何人もの人が臼を造った。この松は、白鬚明神の神木と言われ、戦時中松根油を掘るときも、神木の名でこれだけは除外された。
 この松が「鐘掛松」と呼ばれていたのは、戦国時代戦斗開始を知らせる鐘を吊るし、且つ士気を鼓舞していたという説話による。
 また、戦に勝つときは枝が上に栄え、敗け戦の場合は枝が下へ下がると言われ、それだけに対応策を講じたと伝える。そういえば、日支事変から大東亜戦と言っていた頃は、地につく程に枝が下がっていたし、敗色強まった頃から樹勢が衰え、終に枯れてしまった。
 徐福が千布に出ないで、ここを通りここで一休みし、山様を調べて登山道を決定し、天神山から水分け、ひどのへのコースを選んだとも伝えられるが、年代が違い過ぎる。

出典:久保泉町史跡等ガイドブックp.103