檪木

檪木

■所在地佐賀市久保泉町
■登録ID2951

 檪木は川久保と同じ神代藩の配分地で、1646年の正保絵図には『一井ノ木村』とあり、1853年の嘉永石高帳では『檪木村』となっている。当時、田は少なく木ろうが藩の専売品だったから、はぜの植栽が奨励されこの付近にははぜの林が多かった。
 檪木村が、上和泉村に編入されたのは、明治12年である。
 檪木の『檪』の字は、イチイ・クヌギの漢名である。
 イチイの樹は、マキ科の「一位之木」、つまり昔の貴族や神官が束帯姿のとき右手に持つ細長い板片、笏の原材で、階位一位に因む。これを「一位之木村」としないで、「一井ノ木村」としたのは、遠慮してのことだろうが。漢名「檪木」はこれに起因する。
 もう一つのクヌギは、樫・栗と同じぶな目。棟木の天神さんの祠の傍にある大木を、土地の人は「イチノキ」と呼んでいるが、これは「イチイガシ」が植物学名で、樫の葉よりも細長く、丸い実が成る。この木は木船や車力・馬車の材として昔は珍重がられた。イチイノキと言わないでイチノキと言うのは、「イ」が脱落したもの。同属のクヌギの漢名「檪」の転用もである。
 いずれにしても、植物名をとって集落名としたのは、奥ゆかしい。

出典:久保泉町史跡等ガイドブックp.22