誰故草(たれゆえぐさ)
誰故草(たれゆえぐさ)
■所在地佐賀市久保泉町大字川久保
■登録ID2947
桜の花の咲く頃から、脊振南麓の古生層地帯に、小さなあやめそのままのかわいい薫紫の花が、群をなして咲く。昔は「雛あやめ」「姫あやめ」と呼び、子供が花あそびをしていた。
明治30年(1897)、愛媛県で見付けられ、当時の植物学者牧野富太郎博士によって地名をとって『えひめあやめ』と命名された。ところが既に世界植物学会では洋名の登録があり、日本でも古い地誌(『芸藩通志』(※安芸国広島藩の地誌)及び『西備名区』(※備後地方の郷土史書))に『誰故草』と呼ばれていることを知られ、5年後に『本名を誰故草、一名をえひめあやめ』と訂正発表されて以来、学術書も辞書も「誰故草」で出てくる。
この野生植物はなかなかの気難し屋であるが、一般的に考えられるのは、
1)土質土壌と酸度の関係、
2)土中湿度と排水、
3)気流と極端な気温変化及び雨量、
4)日照方位と植被率の関係、
5)種子の発芽と活着条件、
6)それに盗株防止である。だがその他に、
7)昔のように秣場(採草地)であった頃は数回草刈をし、秋口の草を冬になって野焼きをしていた。
今は、自然保護の名目で葛かやの茂るにまかせていいものか。天童山・日の隈山・大分県の自滅と同じになりはしないか。
1)白絹病などの病害と花昌蒲のような嫌地性対策、
2)水源となる上部の植生品種と腐葉土の厚さ、要求微量要素、
3)共生と単植、
4)結実は虫媒か風媒か、人工交配は必要がないか、
5)移植の時季・踏圧・どろんこ植え、
6)根群の水のうと種まくら、などについての研究は不充分である。
愛媛県・大分県・山口県の一部では、消滅を理由に指定が解除された。日の隈山もそうだが、消滅の要因は何だったのか。県や市の報告書の不備もだが、今後の基本的研究と対策・保存会の実践活動に期待する。
誰ゆへに乱れそめ来し花なれや
みちのしりへの里ならなくに 〔広島県西備名区〕
出典:久保泉町史跡等ガイドブックp.62~63