羽金山の埋蔵金

羽金山の埋蔵金

■所在地佐賀市富士町大字上無津呂
■登録ID2896

 羽金山は標高900mほどで、7合目あたりは薙刀石、畳石、戸棚石、燕石などと名付けられた巨石群がある。
 寛永14年(1637)島原の乱が勃発した。筑前の福岡藩52万石も、幕府の要請を受けて、島原鎮圧のために出動をした。その途中、長野峠付近で軍用金50万両のうち10万両が消え去ったという。その後、10万両を求めて多くの人たちが探したが、どこにも見つからずいつとはなしに忘れさられてしまった。ところが享保4年(1719)2月、筑前国怡土郡長糸村に住む、猟師源兵衛の庭先に血まみれの浪人風の男が倒れていた。源兵衛は急いで傷の手当てをしたが、「羽金山に黄金十万両」と言い残して息絶えてしまった。源兵衛が浪人者の懐中をさぐってみると羊の皮に書いた地図と十字架のついた印籠がでてきた。これが黄金を隠した地図かと長糸村の家をたたみ、羽金山の南側の中腹に小屋を建て、黄金探しに没頭した。しかし、黄金は見つかることなく時のみが過ぎ去っていった。ある日のこと、いずこの者とも知れぬ男がやってきて、自分は黄金を探していると話しをして立ち去っていった。数日後、源兵衛が秘密の地図を持っていることに気づいた男によって殺されてしまったという。黄金をめぐる悲しい結末であった。
 これは「黄金の秘境」のテーマで書かれた志摩達夫氏の作である。

出典:富士町史下p.627