上滝空蝉

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上滝空蝉

■所在地佐賀市富士町
■登録ID2856

   天保9年〜大正7年(1837〜1918年)地方開発者
 上滝空蝉は、天保9年4月4日小城郡小城町にて出生(北山小学校校医陣内味不味の父常一郎の実兄)、号を芝山と称し、学者であり、特に書をよくし、人格、識見共に秀れ、人間修業に努め政治力豊かな人物であった。
 空蝉は30有余にして京都に学び、ときの小城藩主の乞いに従って、藩士(祐筆係)として仕えていたが、当時山内部と呼ばれていた小城郡大野区長(北山地区)として赴任してきた。空蝉は先見の明があり、決断力も優れた人物で、当時住民は官有地(国有地)を官山と呼んでいたが、住民を説いて私有林として払い下げを受けるよう勧誘し、上滝区長の勧奨が実を結び、私有林造成への意欲を燃え上がらせ、林業に大きな役割を果たしたものである。更に上滝区長は、子弟の教育にも常に心を砕き、私塾を開いて多くの人に教えた。
 数ある塾生のなかでも陣内味不味(軍医、後医師、学校医)、吉村赳臣、久保田剛毅(医師、久保田環医学博士の父)等多くの俊秀を訓育に、有為の人材を世に送った。上滝区長は、実に林業開発、教育文化に鋭意を傾注し、地域社会の善導にあたり、大きな治績を挙げた。後年熊本県天草郡福連木の村長に迎えられ、晩年は郷里小城町に帰り、80歳の高齢で他界した。翁の彰徳碑は、旧北山村中原公園内に在り、表の碑文は、子爵・海軍中将小笠原長生(旧唐津藩主)の書で、昭和3年4月建立し、翁の功績を讃えている。

出典:富士町史p.338〜p.339