横目橋そばのエビス祭り

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横目橋そばのエビス祭り

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■所在地佐賀市
■年代近世
■登録ID2540

横目(ジロリ)橋のたもとに、元禄3年(1690)の造立になるという、佐賀市内最古の双体エビス像が銅ぶきのお堂に祀られている。ふつう夫婦エビスといわれ、ひとつの石に2体ほられているのは珍しいということである。 いつか班長さんからエビスの氏子として、お祭りの当番が廻ってくることを知らされた。そしてその1回目が意外にはやくやってきたのである。当番は1年間でお祭りは夏冬2回、夏祭りは神事のあとで御供物の餅、お菓子などを氏子に配る。冬はツウ渡しといって神事の後ごちそうを作り、次の当番の人をお招きしツウを渡す。お祭りの日は、現在では1月20日前後の都合のよい時にしているが、昔は平日でも決まった日に行なわれていた。氏子は減少し、40年前は24軒であったが現在は16軒である。お祭りには1軒より500円の抜銭をする。昭和40年代には100円であったが次第に高くなり、58年から現在まで500円の徴収である。物価の値上がりでこれだけではまかなえないが氏子や有志の方のご芳志もあって500円にすえ置きである。前日に掃除草とりをしお供えの買物をして準備をする。米1キロ紅白の餅、塩魚、野菜、酒(アカカベより献上)菓子などである。当日は天満宮の宮司さんに神事をお願いしている。昔はツウ渡しのごちそうも手づくりであったが、今は折詰をとり自分たちではお吸物をつくるぐらいであるが、食事を一緒にすれば親しくなり、固い絆ができるようで、この街に住んでよかったとしみじみ思える。昔は、横目のエビス祭りといえば大じかけに舞台がかかり、鳴り物入りで賑わっていたと云う。昔から、この川におぼれる人も無く事故ひとつ無いことを聞けば、商売繁盛のみでなくエビスのご加護とも、素直に思える。年々風化し摩滅して、顔の表情もみえないエビスの前に立つ時、時の流れを感じる。お堂は、大正15年6月の改築で西の宮改築寄附者人名塔には30円から3円の氏子の名がしるされているが、人名は薄れてはっきりしない。もう一つその横に四角い人名塔がある。これは改築前のはじめの建立者のものと思われるがはっきりしない。

出典:ふるさと循誘(P.57)