佐賀城下の火災

佐賀城下の火災

■所在地佐賀城下町周辺
■登録ID2511

1.享保11年(1726)3代藩主綱茂公の時、片田江堅小路、手明鑓の藩士の家から出火。水ヶ江、二の丸、鬼丸まで類焼。天守閣を除いて再建。
当時大飢饉、火災、天災に苦しめられ、倹約令発布。実用性のうすい天守閣は後まわしになったという。
2.天保6年(1835)10代藩主直正(閑叟)公の時、二の丸長屋より失火。三の丸、御座間(御居間)を残し焼失。直正公の室、盛姫様 徳川家のため、幕府より2万両の見舞金をうける。当時としては大金であった。
3.明治7年(1874)佐賀戦争で玄関、式台、外書院、鯱の門を残し戦禍をうける。玄関、式台は解体され龍泰寺本殿に移築された。御座の間(執務室)も移転された。鯱の門は26弾痕を残し名をとどめているが国の重要文化財に指定され、石垣も含めて当時の面影を偲ばしてくれる。

出典:あゝ佐賀城その歴史と周辺P30