佐賀米穀取引所跡

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佐賀米穀取引所跡

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■所在地佐賀市松原四丁目5-35
■年代近代
■登録ID2464

 江戸時代の税の納め方は米で納めるという米納制度で、明治政府は明治6(1873)年の地租改正条例により金納制度に改められた。
そのため米穀を換金するための、米穀市場が必要となった。株式会社佐賀米穀取引所は、明治27年(1894)佐賀取引所を母体とし、佐賀市松原町に設立された。取引所の売買は、東京や大阪と同じ競り売買で行われ、米の受け渡し場所は県内各地や県外に設けられた指定倉庫とされてきた。
初めの頃は、売買も1日に2回、大阪の堂島米穀取引所の相場を見ながら行われていたが、売り上げ、出来高は順調に伸び、仲買人も年毎に増加し、業務規模も徐々に拡大され、資本金も設立時の3万円から明治34年(1901)に10万円に、さらに大正9年(1920)には30万円に増額された。
佐賀米穀取引所は、佐賀県経済の発展に大きく寄与したが、昭和14年(1939)9月、政府の米穀統制強化の結果米価が一定となり、明治以来60有余年の歴史に幕を閉じることになった。

出典:地域の人の説明

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