古賀忠雄誕生地
古賀忠雄誕生地
■所在地佐賀市水ヶ江五丁目
■年代近代
■登録ID2463
古賀忠雄は、明治36年に佐賀市水ヶ江町105番地(現在の水ヶ江五丁目)に生まれている。
この地に、古賀忠雄誕生地の標柱が昭和61年3月31日に建てられている。
古賀忠雄は、幼少より図画、手工、習字などにすぐれ、附属小学校高等科を卒業後、佐賀県立有田工業学校図案絵画科入学。この間、日本画家腹巻丹丘に認められ、東京美術学校彫刻科彫塑部本科に入学。
在学中、第10回帝展の「仏心」を出品し初入選する。昭和14年36歳の時、第3回文展(戦後日展に改称)へ「岬の男」を出品、特選を受賞する。後に第5回文展出品「建つ大東亜」で帝国芸術院賞を受賞し確固たる地位を築く。戦後は、日展委員、審査委員、参事等を歴任、昭和42年日本芸術院会員となり日展常務理事、日本彫刻会理事長、陶彫会会長等の要職を務め多忙を極める中、深い情緒性と力強さのあいまった作品を発表し、日本彫刻界をリードした。
出典:佐賀県立博物館・美術館のホームページ、現地確認