虚受楼

虚受楼

■所在地佐賀市水ヶ江三丁目付近
■登録ID2447

 佐賀藩10代藩主、鍋島直正公が政務の疲れを癒し、漢詩の作成にいそしんだ書斎兼茶室。
 
天保6年(1836)2月、佐賀城南東部の水ヶ江(水ヶ江三丁目付近)に藩主の保養別荘水ヶ江茶屋「虚受楼」の建築が始まった。
直正は、天保6年の正月、下痢に悩まされて、賀正に臨まれず、2日、3日も下痢がひどく、7日には古賀穀堂を伊勢神社などに代参させるほどであった。しかし、月末になって漸く回復した。
直正は、藩主に就いて以来6年間、藩政改革に奔走し、肉体的、精神的な無理から体力が衰え、その上、持ち前の几帳面な性格が災いしたのかも知れない。
直正公伝によれば、直正は壮年時、雨水の混じった水さえ飲んで渇きを癒したこともあり、潔癖性というほどのことはなかった。しかし、晩年になって、お手水ごとに、上中下の3つの手桶の水を使って終うほどで、庶兄の鍋島安房にも同じような潔癖性があった。(直正公傳第1編)

出典:直正公傳第1編 葉隠研究61号